孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

拙者、短期離職者

ご無沙汰しております。

 

春から新社会人(2年連続2回目)です!

21卒の皆様、仲良くしましょう!

 

……というわけで新卒で入った会社を辞めてしばらくあった無職期間が終わろうとしています。

昨年の今頃は20卒の新入社員として、社員寮に入って色々入社に向けた準備だとか買い物だとかを遂行していた記憶があります。

そして思い返してみれば、会社から色々な支給品がありました。その中でスーツ用の靴と工場用の安全靴の2種類が普通支給されるのですが、何故か自分には安全靴しか支給されなくて猛烈に嫌な予感がしたことを今でも鮮明に覚えています。

事実、その予感は現実のものとなりました。

 

新生活に向けての買い出しに行く際に、まだ私は車を持っていなくて寮で出会った新卒同期の車に乗せてもらって一緒に話して仲良くなっていったことを思い出します。

その後配属先が発表になり、その彼は開発部門、私は工場の生産管理に配属になったので、劣等感から連絡が疎遠になりそのまま関係が自然消滅してしまったのですが……。

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

この1年は本当に心にモヤがかかったかのようで、鬱などではありませんでしたが本当に人生に対して全くもってやる気が出なかったです。会社に行くことが嫌で、とにかく業務中は1秒でも早く仕事が終わってくれと願う日々でした。

 

仕事が合わないこと、自分が進みたい方向性と配属先の仕事内容が全くマッチしていないこと、そして自分が志望する部署への異動は会社の制度上ほぼ不可能なこと……。

 

これらについて社内で情報収集をしたり上司と相談したりする中で、早い段階に気づいていました。

 

しかしながら、大学を出て社会人になってわずか一年未満でいきなり会社を辞めて転職するというのは並々ならぬ『覚悟』『労力』を伴います。ましてや去年はコロナウイルスという未知の感染症によって未来が不明瞭になっており即座に動くということが非常に難しい状況でした。

仕事そのものがブラックだったり人間関係が厳しかったりということでしたら緊急に迫られて転職を速やかに行っていたかもしれません。ですが、幸いなことに仕事内容は超がつくほどのホワイトであり、現場作業はあるとはいえ厳しい肉体労働は皆無でした。その上大企業ゆえの充実した給与や福利厚生もあって、基本的に接する人はみんな心にゆとりがあって優しい方が多かったです。コロナで一寸先も分からぬ状況の中、この環境を手放してまで短期で転職するのは非常にリスキーだと感じておりました。

 

 

その中で結局短期離職に踏み切ったのにはいくつか理由があります。

 

 

まず、今後の数十年続く人生を考えて『自分が闘いたい分野で飯を食っていけるようにする』方が絶対に良いと思ったからです。

企業の正社員で居続ける限りは基本的には解雇はありえず、長年続けていくことは可能だしそうすることによる旨味はあります。私がいた企業は日系大手の多くの例に漏れず、年功序列で勤務年数が長いほど給料が上がっていく仕組みだったので、ほどほどに仕事を流してその恩恵を教授するのも一つの手として考えられます。

しかしながら、私にとって自分の方向性と違ったやりたくない仕事を1日あたり高々8時間+数時間の残業を週5日ずっとこなし続けることは凄まじい苦痛でした。

肉体的な疲労・精神的なプレッシャーは一切ない職場で終業後や休日に自分の時間もそれなりにあったはずですが、学生時代はあった色々なことをやりたいという気持ちが磨り減ってほとんど一日を無為に過ごしていました。負荷が少ない仕事が必ずしも『楽』であるとは限らないということです。

こうしたしんどさに加え、もしこのまま勤め続けて管理職相当の年齢になった時に会社の業績が悪化して早期退職を迫られた時のことを考えると恐ろしくなりました。

一般的に、転職は現職での経験やスキルを活かして『どのように自分が会社に貢献できるか』をアピールして行うものです。

そうなった時に生産管理の仕事をしてきた私はまた同じような仕事でポストを探すことになるでしょう。しばらく自分にとって合わない仕事と共にいるうちにその仕事が自分の武器であり生命線になってしまい、そこから繋がる道にしか進む事ができないということにしんどさを感じました。

 

第二新卒という形で、大学院時代までの研究などの実績やポテンシャルを評価してもらって転職を行い、元々志望していた分野で開発職に就くことに成功すればその業種で経験を積んでいくことができます。リスクはあれど、私はそちらにかけた方がいいと判断しました。

 

 

 

もう一つの理由としては、人生の短さを痛感する出来事が続いたからです。

2020年は別れの1年でした。

 

1人は大学1年生の時からずっと推し続けてきたアイドルの卒業とグループの解散。

そして、オタクとして出会い私が最も深く信頼していた友人の死です。

 

2arctan-1.hatenablog.com

 

アイドルに関しては上記リンクのブログで心情などが詳しく書かれています。

 

2arctan-1.hatenablog.com

 

2arctan-1.hatenablog.com

 

友人は、これら昔書いた旅日記で一緒の時間を過ごしていました。そこまで頻繁に会っていた訳ではありませんが、私が本当に辛い時に助けてくれた大切な友人です。

 

自分の心の支えとも呼べる大切な人を、2人も一気になくしてしまいました。

この事実に対する寂しさや悲しみはもちろんありましたが、それだけでなくこの別れの経験を経て、いつまでも続くと無意識に仮定しているものもある日突然あっさりと終わるということを痛感しました。それは自分の人生とて例外ではありません。

将来食いっぱぐれない、リスクが少ないという条件だけを重視して割り切って我慢を続けていると、ある日突然自分が死んだ時に死んでも死にきれないくらい後悔するだろうと思いました。

大切な2人との別れを経て、年末実家に帰り年々老いていく両親を見て、2021年に入って私は結局転職を決意しました。

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 

結局私が短期離職という悪手(少なくとも現時点ではそうと見なすのが妥当)を選んだのは、上記の2つが理由になります。

コロナ禍の影響で転職は基本オンライン面接で完結するため、転職活動は比較的スムーズに進みました。年明けから転職活動を始めて約1ヶ月で志望していた企業で研究開発職として内定を頂くことができました。

この結果は元々やりたかった仕事と、今後の人生において自分の進みたい方向性を熟考したおかげだと思います。新卒の時には全く重要視していなかった条件を重要視するようになっていたり、自分の中の変化にESや職務経歴書を書いたり面接を行ったりする中で気づきました。たった1年でも、人はまるっきり変わらないにしろ注目するポイント位は変わるものです。

 

新卒の時は今後数十年の人生で自分の目指すべき目的や方向性がしっかり固まりきっていなかったのと、『何とかなるだろう』と自分の人生をどこか他人事のように考えていたから就職してミスマッチに苦しむ羽目になったんだと思います。大学院生時代の就活をやっていた時のブログやツイートを見返していると、その点を強く感じます。

 

 

今回の転職は第二新卒で、自分の大学院時代の研究内容や製品開発・創造に対するモチベーションを買ってもらってのポテンシャル採用という形になります。

よって4月からが勝負となります。前職よりも良い点も沢山あるだろうし、悪いなと思う点も沢山あるのではないかと思います。

ですが、どうでいつかは死ぬ身の自分ですから、自分の考えで決めた選択肢を正解にこじつけられるようにやっていきたいと思います。

 

結局仕事に限らず、世の中のあらゆるものはひとつの要素からなっているのではなく複合的なパラメータの組み合わせで成り立っています。その中のひとつの要素だけを重視して部分最適化しようとするのではなく、いくつものパラメータの一つ一つを重み付けして全体として自分が納得できる選択を選び、できることから実行していこうと思います。

そして折に触れて重み付けを見直し、チューニングしていき自分の中で優先すべきものについて考えて直していきたいと思います。価値観の変化を妥当なものとして受け入れ、自分の舵を自分で取るのが大事だということです。

 

 

明日から新社会人の方々に私から敢えて告げることはありません。ここにいる短期離職者を下に見ながらぼちぼちやっていきましょう!

 

以上です。

 

 

短期離職者より。