孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

実録登山ドキュメント:『華山』を登った話

華山(げさん)。

 

標高713.3 m。

 

山口県下関市に存在する下関市最大の山。

 

 

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このブログは、その華山をのっぴきならぬ事情で登頂した男の実録ドキュメントである。

 

……たぶん。

 

 

 

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2020年3月19日、スターダストプロモーションのアイドル、はちみつロケットの解散が発表された。そしてメンバーの華山志歩(はなやましほ)はアイドル活動を終了、と同時にスターダストプロモーションを退所することを表明した。

私にとってこの知らせはまさしく寝耳に水だった。大事なお知らせを読みながら飲んでたコーラ思わずこぼしたし。

はちみつロケットは2014年11月に結成されたグループであり、当時は3Bjuniorという26人のグループの中の1ユニットに過ぎない存在であった。

私とはちみつロケットとの出会いは、2014年12月13日のももクリ事前物販のフリーライブステージだった。ももクリに行くわけでもないのに事前物販に行ったのは単なる暇つぶしであって、別にはちみつロケットがライブをすると知っていたからではない。全ては単なる偶然である。準備をしなくても、人は突然推しメンと出逢うものなのだ。

はちみつロケットのメンバーの一人、華山志歩ちゃんがステージ上でももいろクローバーZの『未来へススメ!』を歌っている姿を見て、その全てに惹かれた。そんな感覚は後にも先にもこの時だけである。

そうして私は5年半にも及ぶ間、はちみつロケット華山志歩ちゃんの元へ通い続けたのだった。5年半という月日の間に、当初は中学生だった彼女は成人し、大学1年生だった私はようやく大学を卒業した。長い月日の中で色々な思い出が浮かんでは消えるがそれについては敢えて語る必要もあるまい。

 

長らくアイドルオタクというものをやっている間、私の心の根幹をなしていたのは間違いなく華山志歩ちゃんという存在だったのだ。私のパーソナリティーそのものに一つ、彼女の存在が大きく影響していることは間違いない。彼女がアイドルでなくなり、去ってしまった後の私はどうなるのだろう。DNAをノックアウトされて特定のタンパク質を合成できなくなったマウスのように、歪に変形して死んでしまうのではなかろうか。

アイドルの卒業や解散はいつかは来ることだと思ってはいても、長年積み上げてきた思い出が多ければ多いほど、大切であればあるほど心を締め付けて苦しんでしまう。

モヤモヤとした気持ちの中で、一つ『いつかやろう』と思ってやっていなかったことが頭をよぎった。

 

 

ーー華山志歩と同じ名前の山を登ろう。

 

 

そう思い立った時には、私の足は下関へと向かっていたのだった。

 

 

 

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下関への移動は関西から18切符で行った。鈍行での移動なので、普通に10時間以上費やしてしまった。馬鹿げた思いつきのために一日を移動に費やして、全く気が狂っているとしか言いようがない。でも私にはもうそれしかなかったのである。

 

『華山』が俺を呼んでいる。俺は登らねばならない。

 

本気の本気でそう思っていた。それが何の解決になる訳でもないけれども、今登らなきゃ絶対後悔すると思ったから私は山口県下関市までわざわざやってきたのだ。

 

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『華山』を登るためのルートとしては、まずはJRの小月駅で降車し、そのままバスに乗って石町へと移動した。バス停を降りると、周りには郵便局以外田んぼしかないリアルガチ田舎。周りにもほとんど歩行者などはおらず、第一村人を探すダーツの旅の気分を味わう羽目になってしまった。

とりあえずgoogleマップを頼りに華山の方面へ。周りを見渡して華山を探してみると、田んぼばかりの平地の中に713.3 mの巨体がそびえ立っている。探すまでもない、あれだ。

 

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写真だと何だかしょぼく見えるのだが、実際に目の当たりにするとかなりデカい山だった。辺りに田んぼなどの平地しかないためか、相対的に大きく見えたのかもしれない。下関の田舎の中で、この華山の存在感はえげつなかった。

これを今から俺は登るのか……と正直早くも後悔が頭をよぎった。しかし、バスは1時間半に1本くらいの頻度でしか出ていないためもはや引き返すことなどできない。

やんぬるかな。

私は、まずは華山の麓にある『神上寺』を目指して歩いていくのだった。

 

 

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↑看板を見て『華山』を改めて近くに感じる……そんな昼下がり。


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↑なんでも下関のこの華山周辺は近松門左衛門生誕の地らしい。石碑が置いてあった。


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神上寺の前の標識に、いよいよついに華山の文字が。

「2.9kmなんて大したことないやろ(笑)」

そう思ってた時代が俺にもありました……。

 

 

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ようやく神上寺について、「あれ?クソボロくね……?人居なくね……?」と不安になった。

一応事前にさっとググッた感じだと紅葉が綺麗で地元では有名な感じな寺のような紹介がされていたからだ。しかしなんだこの外装は、どう考えても廃寺ではないか……。


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石でできた鳥居も欠けてるし……。

川沿いにお地蔵さんが並んでるし……。


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階段はボロいし、川から流れる水が染み出して足元がぬかるみまくっていた。そして山道の傍をふと見れば大量のお地蔵さん。

想像してみて欲しい。何気なく入り込んだ寺がボロボロで、人っ子一人いなくて周りにはコケまみれのお地蔵さんが沢山ある状況を。もしかしてこれから神隠しに遭うのではないかと震えながら、妙にひんやりした空気の山中を一歩一歩進む気持ちを。

 

帰りたい……。

 

率直にそう思った。しかし、実はバス停から神上寺まで来るだけの間に、もう30分くらいは歩いているのだ。今更引き返せないし、引き返したところで多分暫くバスは来ない。

もう進むしかないわけだ。『華山』が俺を待っている。

 

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AM10:43。

そういう訳で、私は華山への1歩を踏み出したのだった。

 

 

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道中の山道の写真は沢山撮っていたのだが、振り返ってみるとめちゃくちゃ地味な絵面だった。

華山の特徴としては、基本的に山道の傾斜がキツい。

そして登山コースとしてもそこまでポピュラーではないようで、全般的にあまり整備がされていないし、災害などで壊れた標識などは基本的にそのまんまのようだ。

 

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↑ズタボロのプレハブ小屋を見ると不吉なものを感じずにはいられない……。

 

正直、登山中の出来事について特筆すべき点はあまりない。

見切り発車で『華山』に登り始めていた私だったが、登れば登るほどどんどんパンパンになる太腿とあまりに変わらない景色、そして一向に縮まらない山頂までの距離にめちゃくちゃテンションが下がっていた。

 

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最初の標識を見た時に2.9kmなんてすぐだろうと思っていたが、実際登れども登れども標識に書かれた山頂までの距離は一向に縮まらない。

休み休み歩きつつ、あまり日の当たらない薄暗い山道をひたすら登っていく。何のかんの1時間ほど歩き続けると段々陽の当たるスポットが出てきたり、開けた場所から断崖が見えたりして頂上が近づいてくるのを感じるようになってきた。

 

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山頂まであと0.3kmと迫ったところで『岩屋観音』という観音様が祀られいる祠に遭遇した。

観音様の写真を撮るなんて罰当たりなことは出来なかったので直接写真にはおさめていないのだが、荒々しい岩が積み重なったまさに岩窟の中に、小さな観音様の像が鎮座していた。その姿はキミ自身の目で確かめてくれ……!(Vジャン攻略本)

観音様にお参りを済ますと、いよいよ頂上が近づいてきたということでなんとか最後の力を振り絞り……というほどは疲れていなかったが、まあへとへとになった足を引きづって黙々と登る。

そして、

 

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みんなやったぞ!!『華山』山頂だ!!!!

時計を確認すると、時刻はだいたいPM0:30。登っていた時間はだいたい2時間に満たないくらいらしい。

私はここで数少ないグッズである、華山志歩ちゃんのアクリルホルダーをマウンテンパーカーから取り外して写真を撮った。

華山と華山の対峙。

華山の中にいる華山を握った私。

大自然の中で、自分と華山と華山志歩との境界線が曖昧になっていく……。

 

 

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下関市民を怪しげな電波で洗脳し、みかじめ料を納めさせる新興宗教団体の電波塔らしいです。

 

 

見通しの良い場所を探して山頂を彷徨いているとかなりいい感じのバルコニーみたいな場所があった。

 

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なんという壮大な景色……!

バルコニーの木でできた床には所々穴が空いていたが、その下を覗くと剥き出しの山肌が見える。高さは数メートル〜10メートルくらい。落ちたら打ちどころが悪かったら死ぬくらいの丁度いい高さだ。華山はスリル、ショック、サスペンス……。

 

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実家で長年眠らせていた華山志歩ちゃんのクソデカ缶バッジ2種をここで開封。初開封の地が華山山頂で彼女らもきっと喜んでいることだろう……。

 

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バルコニーで撮影後、電波塔を伝いつつ華山山頂をさらに散策し、ついにTop of the Flower mountain(華山の頂上)に到着した。

屋根付きの社の柱には『此処まで登って委員会』が記録した華山(713.3 m)という印が刻まれており、近くには掠れてほとんど読めなくなってしまった看板と二等三角点が置かれている。

 

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山頂にはちょうど人が1人立てるような大きさの岩があって、その上に立って見る華山山頂の景色の美しさには来るものがあった。華山の周囲にはほとんど田んぼや民家などしかなくて、背の高い建物が存在していない。さらに周囲にも華山ほど高い山などはあまりなく単独でそびえ立っているため、山頂からの景色の見通しの良さには特筆すべきものがあった。

なんていうか、「来てよかった」と素直に思えるような、とてもスカッとした気持ちのいい場所だった。華山よ……あなたは美しい。

 

山頂の景色に心奪われて、そしてここに来てようやく華山志歩ちゃんとの思い出を振り返る心身的な余裕ができて、ぼんやりと下関の景色を見つめて黄昏ていたら、いつの間にか1時間ほど時間が過ぎていてびっくりした。

華山は登山スポットとして有名ではなさそうだったけど、それでも1時間ほど山頂にいると3組ほどの登山客と出逢う機会があった。

歩いて登山してたと思わしきご夫婦、恐らく車で登ってきたであろうブルーカラーの建設業者っぽい男性の団体、そしてお子さん連れで休日に登山に来た御一家……。

それぞれが華山の景色を見ながらワイワイ話していた。その間、私はただただ黄昏ていた。人はそれをぼっちとも言う。黄昏れるしかすることがない。黄昏れたくて黄昏れてるわけでもないけど、あまり知らない人と話すのは苦手なのでなるべく声をかけられないように訳アリ感を出して黄昏れることによって声をかけづらい雰囲気を演出していた。

1時間近く山頂に滞在していると、もう後半は華山志歩ちゃんとの思い出を回想していたというよりかは、シンプルに「帰りどうしよう……」という風に思考がシフトしていった。下山が面倒くさすぎる。しかもバスの時間が全然合わない……。

 

そんなことを考えていると、ご家族連れの奥さんに声をかけていただいた。そしてお話をしているうちに車で駅まで送って頂けることになった。これは華山がもたらした素敵な出会い……!

きっと、不意に『華山に登ろう』と思わなければこの出会いはなかっただろう。

乗せていただいた車内で、下関市の特色や名産品などについて色々なお話をうかがった。そして、帰り道では華山のもうひとつのスポットである徳仙の滝にも寄ってきた。

 

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ざあざあと音を立てる滝からはほのかなマイナスイオンを感じた。一流の大学院生はマイナスイオンを感じることができるのだ。

そして、駅まで送っていただき御家族とは別れを告げた。

9時ごろに小月駅に到着してから華山に登り、下山をして駅に戻ってきたときにはおよそ15時……短いようでいて、その実すごく長い旅だった気がする。

 

 

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駅で改めて1人になって、今回の華山への不要不急の旅を思い返してみた。

 

何もかもが行き当たりばったりで、ただただ自分でもうまく言語化ができないような情動に突き動かされて山口の下関まで来た。そして、あまり下調べもしないまま華山を登りきった。

登山中はひたすら景色が地味でしんどくて、山頂で見た景色は綺麗で、素敵な出会いもあって…………きっとこの華山への登山自体は私の人生の中で重要なピースのひとつになるだろうという確信はあった。

でも別に人生観が変わったりとかはしなかった。

人間は山に登ったり外国にちょっと行ったくらいでは変わらない。大きな『流れ』の中で、少しずつ少しずつ泳ぎ続けて、気がついたら何処かへ流れ着いていくものなのではないかなと思う。華山志歩ちゃんがアイドルを辞めることも、5年半の思い出があるはちみつロケットが解散する事実も止めることはできない。もしかしたら最後のライブだってコロナで延期や中止になってしまうかもしれない。

 

しかし、だからこそ華山志歩ちゃんとの一つ一つの思い出を踏みしめながら、『華山』を登ることには意味があったと思う。バカバカしい行為の中で、色々な思い出が登山という行為を伴って心だけではなく身体に刻まれたような気がする。学生最後の春休みだからこそ、こういうことができたんだと思う。そういう意味では、今のタイミングにはちみつロケットの解散というのは必然だったのではないかとさえ思ってしまう。

 

登山単体の思い出と、アイドルオタクしての活動と、色々入り混じってしまったブログになってしまったが敢えてそれらを区別しないでこのブログを終わりにしたい。

 

馬鹿馬鹿しさと無駄と不要不急の中にこそ、私の思い出は煌めいているのだから。