孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

俺が結婚したらインスタに子供の写真とか載せないようにしようと思うんだ

社会人経験2年目(短期離職したので実質1年目みたいなもん)だけど、年齢としてはもう20代後半なので身の回りの人間がどんどん結婚している。

もちろん結婚してない友人も沢山いるが、そういう人たちも過半数が何となく『王手をかけている』ような雰囲気が漂い始めている。

 

そして、結婚した同年代の友人にはどんどん子供が生まれている。少子高齢化はどこに行ったんだ?っていうくらい幸せな家庭があちこちに築かれまくっている。

 

大学時代から社会人になり、年月の経過とともにいつの間にか我々のInstagramは『映え』を競う場所から『子供の成長を見守る優しいコミュニティ』へと変貌を遂げていたのだ……。

 

その中で、独身、交際相手なし、予定なし、新卒で入った会社を1年で離職した男がここに1人……。

 

率直に言って子供と戯れてる同世代の知人全般がとても羨ましい。

そして同世代の人間が子供を産み育てることによって次世代にバトンを渡しつつあるのに、自分は持っているものを誰にも渡せていないのかと思うと「何やってんだよ、俺……(世界陸上織田裕二みたいな感じで)」という気持ちになる。

 

整理すると、同世代の友人の子供の写真や動画が流れてくるたびに「可愛い」や「微笑ましい」という気持ちよりも真っ先に「何やってんだ俺は……」という焦燥感が襲いかかってくるのだ。

 

まあ今はまだ20代なのでそういう風に焦燥感を感じても一晩寝たらすぐ解消されるのだが、これが30代の半ばなどになってくると尻に火がついたような感覚に陥って全然眠れなくなっちゃうんじゃないか。そうとさえ思えてくる。

街中で見知らぬ若い夫婦が子供と一緒に歩いたりしてるのを見ても別に何も思わないのに、知っている人のSNS投稿となると急に実感が湧く。前者の方が現実世界の中で目の当たりにする分『リアル』なはずなのに、後者の写真や動画の電子データの方が俺にとって深刻で説得力があるのだ。

 

 

そんな現状を踏まえて、俺は1つ今心に決めていることがある。

 

 

子供の写真とかをインスタとかに載せないようにしよう。

 

 

これである。

 

理由としては、先程言った内容のごとく俺と同じような立場の知人がもし俺のインスタを見て焦燥感を味あわせたくないというのもある。というよりかは、自分の子供を通じて人様にプレッシャーをかけたくないというのが本心である。

 

そしてそれ以上の理由として、俺の周りにいる友人や家族の思い出について『オフライン』の領域を作りたいというものがある。

例えば育っていく子供の様子だとか誰かと楽しく飲んだ時の様子などをなるべく共有せず、携わった人達だけの秘密情報にしておきたいのである。もちろん、自分の子供の写真を見たいと言ってくれる酔狂な友人には写真を見せるが「見たい」と言った訳でもない人達に家族や写真を見せる必要性を感じないのだ。

多分だけど俺がInstagramで俺の子供をアップロードしたとしても、ほぼ大半の人が『どうでもいい』と思うだろう。

アップロードすることにより自分の子供がInstagramのフォロワー(知人)達の無意識の批評に晒されるのならばオフラインで家族の内々で慎ましくしていれば良いのではないか。友達の少ない俺はそう思ってしまうわけである。

 

ここら辺の『自分にまつわる物事のどこまでを公開するか』という肌感覚はかなり個人差があるのではないかと思う。

 

既婚者で子供がいようが自分の趣味にまつわる投稿以外は一切しないという人もいるし、逆に積極的に家族の写真をシェアするという人もいる。これはきっとその人その人の性質の違いではないかと思う。そして、俺は恐らく前者ではないかと思う。

 

俺は俺自身の趣味や性質にまつわる事柄のみを発信して、周りについてはなるべく秘匿にしていたい。プライベートの生活とはある程度切り離した、いわば俺を取り巻く周辺環境から切り離された俺の嗜好だけがInstagramに流れればそれで良いのではないかと、そう思っている。

生身で剥き出しの幸せは、日陰者の身には眩しすぎるので……。

 

だから俺は結婚や出産などのイベントをインスタに共有することなく、粛々と風景や美術館に行った写真を上げ続けてええ格好をつけ続けると思う。

 

 

が、人間は言ったことを簡単に翻すものなので数年後とかにはしれっと子供をInstagramに上げたりしているのかもしれない。

 

 

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