孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

まーごめ180キロを見てきた

※結構前にバーって書いてたんだけど、映画公開終わってからにしようと思ってそのまま忘れてました。

 

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見てきた。

映画の感想なんて特に書いたことないんだが、何となく残しといた方が良い気がするんでざっと書く。もちろんネタバレあり。

 

この映画、そもそも超長い。2時間くらいある。見ていてあっという間とかではなく、普通に2時間分インタビューなどによる情報が蓄積されていくので物理的(180キロ)だけでなく情報量的にも重たい内容だった。

大鶴肥満のドキュメンタリーではなく、まーごめのドキュメンタリーという触れ込みが冒頭に言われてるが、中身の実態はほぼ大鶴肥満のドキュメンタリーと言ってもよいと思う。大鶴肥満の過去や近況を通じてところどころ『まーごめ』に関するエピソードがコロコロと転がってくる感じだ。

大学時代のお笑いをやってる時の話や、大学お笑いの時からの同期や先輩たち(サツマカワRPG真空ジェシカ、さすらいラビー、ストレッチーズあたり)のコメント共に掘り下げる。

インタビュー中も肥満はハンバーガーをほおばったり大きな身体を使いながら遊具を移動したりと何とも緩い空気の中で行われる。

最初の方は小ボケや肥満の面白エピソード(ロシア版のmixi badooでマッチングした外国人に裸体をばらまかれたエピソードとかめっちゃ面白かった)で和やかに進んでいた。

 

だが、肥満の出身校や家に戻るあたりから少しずつ暗いエピソードが混じり始め、空気が重くなっていく。最初に訪れた小学校の時の担任にきゅうりを無理やり食わされて吐く度に担任が周りの子に片付けをさせて『ごめんね』と謝っていたのがルーツのひとつ、という話からちょっと風向きが怪しかった。

そして、車中で高校に近づくと明らかに肥満の様子が脂汗が増えておかしくなる。テレビショー向けの明るい感じではなく顔をしかめながら高校時代のいじめられたエピソードを校門の前で話し続ける。いじめた相手のことを実名で(もちろんピー音で伏せられてはいるが)話していることからも本来この部分は大鶴肥満にとって触れてはいけないところであることがわかる。

 

また、実家に立ち寄った時にたまたま父母がおり(本当にたまたまかは不明だが)、3年ぶりに実家に帰省して両親にインタビューをするくだりがあった。

真空ジェシカの川北なども触れていたが、家の内装はなんというか、『普通そうはしないだろう』というような形になっている。ここが異質で、かつ、親との折り合いの悪さ(今時あんまり見ないカメラ回ってるところで親が全然息子が芸人やってるのを認めてくれてない感じ)で見ていてかなり不安になった。

元々実家に来る前の車中で家族との折り合いが悪い感じを匂わせていた大鶴肥満は、案の定父と途中から口論のような形になってしまう。口論の終わりには『そのままでいてくれてありがとう』と、父親に面と向かって言う。この言葉がなかなかえぐみがあるな、と思った。そのまま、というのはもちろん嫌な親のままでいてくれて、という意味だ。

半分喧嘩のような形で外に出、車に乗り込み、父親が自費出版で出す本を手渡されたり後からやたら小難しい文面での謝罪メールが来たりして笑いになっていたが、自分としては見ていて嫌悪感とも異なる、ズドンと沈殿したものが残った。

 

その後はマッチングアプリで出会った女性との進展、そして告白して振られるまでのくだりがあったりと、大鶴肥満の近況などが割と赤裸々に語られている。相方のひわちゃんの話を始め、大学お笑い時代の話も色々聞けて面白い。その中で『まーごめ』が作られていった過程が分かるように放っている。

その部分で見るとまーごめドキュメントという言葉に偽りのない映画だと思ったが、やはり見終わったあと残るのは大鶴肥満の出身高校〜実家へと赴いたシーンと不穏な部分だった。

 

 

 

トータルで見ると、結構剥き出しの映画だと思った。

見た方がいい、と人に勧めるタイプの映画ではないなと思った。別に何かを期待して見に行ったわけではない(まーごめのドキュメンタリーという触れ込みが気になって見てみた)けど、それでも大鶴肥満の巨体の中にある仄暗さが垣間見えて、ユニバでバイトした時の舞台裏を見た時の気分になった。

2時間にも及ぶ映画の中には明るい部分や面白い部分も沢山あるので、そこを掬って話すこともできるが、暗い部分がよく残る映画で、なんというか『辛くない人間はいないんだなあ』みたいなことを思った。