孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

関西人は別に面白くない

タイトルでかなり過激な事を書いた気がしますが、読み進めていけば何となく言わんとすることがわかってもらえると信じています。

あくまでこれ『も』私の偏見ですので悪しからず……。

 

 

関西の特に大阪にまつわる偏見や噂は沢山あります。

 

  • ヒョウ柄の服を着たおばちゃんが飴ちゃんをくれる。
  • 銃でバーン!と撃つフリをすると大袈裟なリアクションを取って倒れる。
  • 日常会話の中にツッコミがあり、オチのない話を嫌う

などなど……。

 

 

これらはまあ部分的には真実であると言えますが、若干誇張されている感があるのは否めません。関西人は誇張が大好きなので。

 

大阪に関するこれらの楽しいイメージや笑いに関する歴史の深さから『関西人は面白い』という風潮が日本全体に根付いたものだと思われます。これ自体は喜ばしいことだとと思います。

 

 

 

が、関西人は別に面白くはありません。

 

 

 

正確には、関西人『だからといって』面白い訳ではありません。

 

もちろん、面白い人はいます。

面白い人の比率ももしかしたら他の地方よりも多いのかもしれません(私はそんなことないと思いますが)。

ただ、関西人という属性そのものが面白いということは一切ありません。ステレオタイプな関西人は、うるさくて厚かましいだけの人です。

 

関西に限らずどの地方でもそうだと思いますが、面白いと周りから言われる人は頭の回転が早くて求められてることをポンと言ったり、意外なことを言って笑いを取ったりします。タイミングを読む力と着眼点が所謂『面白さ』と呼ばれるものの本質ではないでしょうか。

 

そういう人が別に他の地方と比較して多いわけではないのです。

ただ積極的に話を出そうとする我の強い人が他の地方より土地柄多いので、『よく喋る=面白い』という、厳密には成り立たない等式がなし崩し的に成り立ってしまっているだけだと思います。

 

 

「でも関西人は話のオチにやたら拘ってるし、話の構成を普段から考えているのでは?」

 

 

その一面は確かにあるかもしれません。実際、何となく関西人全体の間で何気ない話の中でオチを求められるのは事実です。

ですが、注意していただきたいのは、喋っているのは素人ですので基本的にオチていません。

でも話がオチなくたってそれをイジったり共感したりして話を聞いている人は笑います。みんなで話を盛り上げようとするのが自然です。

……つまりオチという部分を重視している節はありますが、実際本当に大事なのは共感や傾聴能力なのです。

これは関西に限らず日本中どこででも大事な能力で、関西人だからという要素ではありません。

 

 

 

「ツッコミは?関西人は話の途中にうまくツッコミを入れるんじゃないの?」

 

 

ツッコミという言葉にすると、いかにも関西人だけがやってそうだと思われそうですが話の中で「おかしいな」と思ったポイントについて突っ込むのは万国共通だと思います。そういう意味では漫才をするのでなければ、ツッコミという要素は日常生活には現れてきません。

むしろ、このツッコミという要素に囚われすぎて話をやたらと止めてしまったりするケースの方が多いと感じます。「あかん所はつっこまないと」という自意識が悪い方向に働いてしまう例です。そういう意味では育ってきた環境の中でツッコミが刷り込まれた関西人よりはむしろフラットな他地方の人の方が柔軟な姿勢で話を聞くことができるのではないかと思います。

 

関西人が面白いというイメージは、結局関西でお笑いをやっている人は面白いということなのではないかと思います。関西がお笑いのメッカであり、上方落語に代表されるような文化が根付いていたのは事実だからです。 

そして大阪は商人の町であったから、関西圏周辺には厚かましい、よく言えば人情味あふれる人がたくさんいます。近年は昔ほど土着性がなくなってきているので若い人ではあまり関西人めいた人は見かけませんが、中高年以上だとこの土着性の影響は間違いなくあると思います。

 

 

私が思うに、関西人は面白いというイメージが流布されたのは関西以外の方々の『優しさ』だと思います。

 

ステレオタイプな関西人のイメージに当てはまる属性としては、面白さよりもむしろ厚かましさや現金主義などが先立つと思います。

言ってしまえば人と人の距離感が近く、話にがめつく食い込んでくるステレオタイプな関西人に対して、オブラートに包んだ表現が『面白い』だったのではないのでしょうか?

そうした意味では『関西人は面白い』と言われている事実に対して、関西人は謙虚に受け止めなければいけないと思います。その風潮を誇るのではなく、むしろ自分はどうかという部分に落とし込んで内省すべきだと思います。まあ、そこでちゃんと考えるような人間は間違いなくステレオタイプな関西人ではないのですが。

 

 

 

上記の内容が、関西圏に20年以上住んでいた私の実感であります。

 

とはいえ近年はここに書いてあるような内容を世間も何となく感じ取っているのか、以前ほどはステレオタイプな関西人としての属性を押し出す人は減っているような気がします。これは良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが、地域単位での特徴よりも全体的な時代の影響、あるいは集団よりも個人の特性がフォーカスされる時代になった表れかもしれません。

 

 

……このブログにはオチがありません。オチなくても皆さんが1ミリでも納得してくれたら謎の説得力でなあなあにできると思ったからです。