孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

将来が、

6年間在籍した大学の卒業まで残りあと4ヶ月……。

 

 

3月付近に修士論文発表があって、それが通れば(発表さえすれば通る)卒業が獲得する。

晴れて私は修士号を獲得して、内定先に就職する。

 

 

来たる提出日に向けて、少しずつ修論を書きつつ、内容を充実させるために実験をせせこまと繰り返す。今はそんな毎日です。

好きで選んだ研究内容でしたが、去年で内容がひと段落してその次のテーマがうまく見つからずなし崩し的にそれらしいテーマを選んで修論に向けて実験をしていますが、それはもはや私の手を離れてしまっています。

 

大学でやっている日々の実験が、自分で考えて何かをする研究というよりかは何者かの大きな意志に従って、粛々と手を動かすルーティンになりつつあります。

 

卒業後には進学せず就職するという進路を踏まえて今のやっている研究をどこまでやって折り合いをつけるかというところですが、なかなか着地点も決まらずに、苦しくとまでは行かずともちょっとしたモヤモヤが心の奥底に沈殿していきます。

 

 

3年間手をつけた物事(研究)が中途半端で、果たしてこれから就職してその先の人生をやっていけるのか、だとか。

今まさに感じているような「楽しくなさ」をこれから先就職したあとに抱えてしまった時にそれを上手く処理していけるのだろうか、だとか。

 

 

そんなことを考えつつ、『怒られはしない程度に実験をして体裁を整える』ということなどをしています。これで大丈夫なのだろうかという危機感を持ちつつ。

 

自分の好きな勉強や読書の時間は何とか取り続けているのが唯一の救いかもしれません。

 

くどくどと愚痴みたいなことを書いてきましたが、楽しくないなと感じながらも、自分の中で価値を感じられないことでも、目的を達成するためにやり続けなければならないのなら割り切ってしまうことも必要なんじゃないかと思ってもう少しやり続けることにします。

 

これからのことを考えた上で、まず修士号は絶対欲しいので。

 

社会人になっても漠然としたもやもやを抱え続けることになったら苦しいだろうなぁと思いながら、そうなった時どうするかを考えつつ残りの4ヶ月を過ごすことにします。

 

 

今ひとつやっていることを楽しくないと思いながら、楽しくないことをやり続けることしかできない自分の凡庸性と向き合いながら……。