孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

アルバイト体験談 〜アイス工場編〜

ふと振り返ってみれば、自分の人生、色々なバイトをしてきたなぁと思います。
バイトをする理由はまあアイドルに通うためだったのですが、時給が高くてなるべく楽なバイトを追い求める過程で、良いバイトも沢山出会いましたが一方で地獄みたいな職場環境もいくつか経験してきました。

そんな派遣労働の中でも特に印象深いのが工場労働です。私が初めて工場に日雇労働者に入ったのは大学1年生の5月、実家から電車で30分ところの程にあるアイス工場でした……。




【N県の某アイス工場】


大学に合格した当初、私は浮かれすぎてアルバイト先を探すということを全くしないまま5月を迎え、ちょうどいいバイト先が見つからずに早くも金欠に喘いでいました。そこで、当時のよっ友(友人ではない)が紹介してくれた単発でできる派遣会社に登録したのですが、募集内容が工場内軽作業しかありません。

この『軽作業』というのがいかに地獄かわからなかった私は、Webで登録した翌日に派遣会社からの電話で「〇〇にあるアイス工場の夜勤に入ってくれませんか?」という依頼に二つ返事でOKしてしまったのです。

そのアイス工場は夜勤で時給950円というヤバいくらい低賃金だったのですが、労働経験がなかった私は、

「時給950円ってめっちゃ高いやん!ここで働いたろ!」

とウキウキで乗り込んだわけです。



工場内の作業は流れてくるアイスバーを規定本数ひたすら箱に積めるだけ。誰でもできます。
食品工場ということで無駄に厳重な作業着に身を包み、消毒をしていざ作業へ移りますが、ベルトコンベアのスピードが尋常じゃありません。私ともう1人パートの東南アジア系労働者の女性でひたすら詰めますが、全く間に合わずあっという間に詰めれなかったアイスが溜まって床にこぼれてしまいラインがストップしてしまいます。
汗だくになりながら必死に作業するとしばらくすると慣れてきてなんとか詰めれるようになりますが、ラインが一切止まらないのでマジで手が死にます。もう1時間くらいは経ったかなと思って時計を見ても10分くらいしか経ってないし、休憩はまだ数時間先だしでアジア人女性と途中で入れ替わった40代くらいのおばちゃんに励まされながらなんとか8時間労働を終えることが出来ました。
労働を終えたあと外に出た時の日の出を見て綺麗だな……と思いながらここで働くのはもう二度とやめようと思いました。ちなみに交通費は支給されませんでした。ほんまカスやな。


あ、よかった点が一つだけあります。
工場内の休憩スペースにはコンビニで置いてるアイスの入った業務用冷蔵庫が置いててそこでアイスが好きなだけ食えます。
まあでも、3個くらい食ったらもうええわってなるんですよね。パクって持って帰ろうにも溶けちゃうし……。

静岡来訪記その3(富士宮〜静岡市美術館)

富士宮で一晩を過ごさせて頂くと、2週間にわたる長期研究の疲れからか昼過ぎまでぐっすりと眠ってしまいました。

外に出てみると気持ちのいい快晴で真っ青の空が眩しいです。
さすが富士の名前を冠している富士宮市、ふと遠方を見やると見事な富士山がクッキリと街中から見えました。









富士山をしっかり見たのは、大学3年生の時に山梨にインターンに行った時以来です。
あの時行った企業の近くには富士宮から電車に乗っていけば1本で行けるそうで、あの時と逆側から富士山を見たことになります。


富士山の壮大さに感動を覚えつつも、お腹がすいてきたので超有名B級グルメである富士宮焼きそばをいただきにやって来ました。






やってきたのはこちらのお店です。
駅から割と遠い上にそんなに大きなお店でもないのですが、割と並んでいて30分程待ってようやく入れました。知る人ぞ知る名店っていう感じですかね。




内部には鉄板が置かれていてその場で作ってくれるスタイルです。そして店の中央にはグツグツ煮立ったいい匂いのおでん……。





たまらずお先にいただくことにしました。1本70円という非常にリーズナブルなお値段でしっかり出汁が染み込んでいて最高でした。
寒い冬はやっぱりおでんですよね。





そんなこんなでのんびりとしていたら、ついに富士宮焼きそばがやってきました。美味しそうに撮影出来ずちょっとブレてるのがもどかしい……。

目玉焼きと肉カスのマッチングが絶妙で今まで食った焼きそばはなんだったんだ……?っていう美味しさでした。元々僕は焼きそばがあまり好きではない(ソースより醤油の方が好きだし)し、焼きそば食うなら醤油味の焼きうどんや塩焼きそば食うわっていうタイプなのですがこんなにうまい焼きそばなら話は別です。
料金も1番良い五目焼きそばを大盛りにしても600円そこいらで、お好み焼きチェーンのソース焼きそばと比べてかなり安価なところも素晴らしいなと思いました。


素晴らしきB級グルメに舌鼓を打ったあと、友人と別れ富士宮市を後にして帰路に着きます。富士宮から新幹線のある静岡駅までは電車で30分ほどでした。
切符を買って、新幹線が来るまでの間に駅周辺をぶらつこうと外に出ると徳川家康公がお出迎えてくれました。








その背後のビル(葵タワーというらしいです)の根元に『美術館』の文字が。
調べてみるとなんと19時まで営業しているということで、すでに17:30でしたが入ってみることにしました。





タワーを潜ると、真っ先に怪しい木彫りがお出迎えしてくれました。
タワー内では高校のCG絵画展の優秀作品が1階で飾られていたりして活気を感じました(写真は撮ってませんが)。









タワーの3階に静岡市美術館はあり、『起点としての80年代』という企画展がやっていました。

今現在の視点から80年代当時の現代美術を改めて見つめ直すという趣旨らしく、美術に関してはまだまだ疎い私でも比較的わかりやすくそして楽しく巡ることができました。
展示は撮影禁止なので撮影していませんが、単なる絵画にとどまらない様々な作品が文字通り所狭しと並んでそれぞれの空間を作り上げていました。静寂の中で、白面の壁に囲まれた様々な作品を回ると異世界にのめり込んだ錯覚を覚えます。


あっという間に1時間が過ぎてよい時間潰しができたなと、ホクホク顔で静岡市美術館を後にしようやく新幹線に乗り込みます。




帰りは新大阪行きのこだまでゆっくりと帰ることに。

いつもは新大阪から東京に行く時には京都、名古屋、新横浜、品川しか止まらない新幹線に乗っていたので、静岡や岐阜などの各駅に停車する新幹線は早いんだけれどどこかのんびりと感じて新鮮でした。
ほかの駅にもまた下車して巡ってみたいですね。






……………………。

以上で、静岡を来訪した時の旅日記をここに終わることにします。

2日間しかありませんでしたが、非常に良い旅になったと思います。
また機会があればこういうブログも書くかもしれません。

静岡来訪記その2(三島 せせらぎ散歩〜三嶋大社)

楽寿園の出口を抜けると、そのまま源兵衛川という川の小道に続いています。






川沿いではなく、川の中に足場で作られた道があるところが素敵です。クラッシュバンディクーの川のステージやスーパーマリオRPGのワイン川下りを何となく連想するような風景ですね。
童心に帰りながらさらさらと流れる水の流れとともに歩みを進めます。






先に進むと足場が飛び石のようになってきます。友人の話いわく、夏には川で小学生たちが裸足で川の中で遊ぶとのことで、それだけ綺麗で地元から親しまれている河川なのでしょう。

しばらく歩くと、石畳の舗装された道に上がれます。
川の小道の果てにあるものは…………?






……ヘル…………ス……?
いや、そんなバカな。

もう少し近づいてみましょう。








………………………………。


もう、疑いようもなく完全に店舗型ヘルスでした。
源兵衛川の果てには地元民に愛される三島市唯一の店舗型風俗店があったようです。後で調べたらヘルスじゃなくてソープでした。なんやそら。




川の果てを横切るようにして今度は石畳の道をまっすぐ進んでいくと、三島市で1番大きな神社である三嶋大社が見えてきました。





立派な石の鳥居です。








鳥居をくぐると大きな池の中に赤い社(厳島神社と呼ぶらしいです)があり、その奥にさらに進むと三嶋大社の本体が見えてきました。

境内では大陶器市というマーケットが開催されていて、様々な陶器や金物で溢れていましたが残念ながら(?)撮影は禁止でした。




三嶋大社内で参拝を済ませると、辺りは既にやうやう暗くなり始め三島駅近くのふらいぱんカフェというところで晩御飯を頂きました。







フライパンに盛られた焼き鳥やパリパリのサラダ……静岡感は皆無ですが、美味でした。


晩御飯を食べ終えるとお酒が入ってご機嫌の状態でカラオケで1時間半ほど熱唱し、三島市から1時間ほどかけてより富士山の近くへと移動しました。


静岡来訪の初日は以上の通りです。
めちゃくちゃ色々な観光地を回ったというわけではないですが、街の石畳を踏み締めて実際に見て回った三島市の情景が目だけでなく肌や耳に残っています。実際に旅をするということはこういう風に足で回ることだと私は考えています。

2日目は、富士宮市〜静岡駅周辺を少し散策したのでまた書きたいと思います。

静岡来訪記その1(三島 楽寿園)

皆さんこんにちは。


どうにもこのブログを開設してからというもの、あまりにも根暗な記事しか書いていないのでたまには旅の記録を書きたいと思います。

先週の金曜日まで研究の関係でしばらく関東に滞在していたのですが、全く成果が得られず精神的に限界だったので関西に帰る道すがら、どこかによって観光を楽しむことを決意したのです。


2019/2/23の土曜日。ホテルのチェックアウトを済ませ関東から帰路に着きます。新横浜まで電車で移動し、新幹線に乗り込みます。
そして、新幹線を途中下車し降り立った駅は……





静岡の三島駅でした。

魚介類で有名な沼津からほど近く、非常にのびのびとした広い駅でした。
駅の近くには日本大学国際関係学部を初めとして高校などが密集していました。








世界で1番日本大学のキャンパス周りを撮影する男こと私。どうやらちょうど入試日だったみたいで中は入れませんでした……残念。




ここで、静岡に在住の友人であり元フォロワー(ややこしい)と合流し、まずは腹ごしらえをします。




静岡では有名なチェーン店らしい『魚がし鮨』で、熱燗と沼津丼(大きめのお刺身の乗った海鮮丼)を頂きました。程よく熱燗で身体も暖まって万全のコンディションです!



さて、ここから友人の案内の元、三島の観光スポットを巡ることにしました!






まず初めに訪れたのは、楽寿園という名前の自然公園です!
動物と触れ合ったり日本庭園が見れるともっぱらの噂の激アツスポットです!



さらに、偶然訪れたのが2/23という『富士山の日』ということで通常300円かかる入園料が無料でした!その事もあってか、非常に多くの家族連れのお客さんで賑わっていました。





園内は様々な屋台(古いバスを改装した石窯焼きピザの店なんてのもありました!)が並んでいて賑わっており、一方でうらぶれた遊園地の隅にありがちな、どことなくレトロで寂れたゲームコーナーもしっかりあったりします。かなり客が入っていたのですが、ゲームコーナーで遊んでる人はマジで0人でした。











写真では一部の動物しか写していませんが、カルガモさんやヤギさんやモルモットさんやカピバラさんやアルパカさんや与那国馬さんなど、メジャーなものから珍しいものまで様々な動物を見たり触れ合ったりできます。ちびっ子たちを中心に一番にぎわっているスポットでした。
動物も繊細な心を持ってるので冷やかすのはやめて、静かなシャッター音で撮影しましょうね。(ヤギさんの角を撫でようとするとブチ切れて柵の扉をめっちゃ頭突きしてきて死ぬほど怖かった)









動物コーナーから園内をさらに奥へと進むと本物の蒸気機関車が置いてあって、なんと中に入ったりできます!これには家族連れのちびっ子だけでなく、24歳職歴なし大学院生の私も大興奮でした!







SLのすぐそばには三島市の郷土資料館があり、無料で入れて三島市の出土品や昔の暮らしなどを体験出来る展示がありました。どうやら三島市は宿場町で様々な職人さんが住む場所だったようです。




資料館では特設展と称して、刀剣乱舞という歴史系のソーシャルゲームとコラボした模造刀の展示が行われてました。しかしながら刀が2振り飾られているだけの、もの寂しい展示でした……。





楽寿園は自然公園ということで、園内の最奥地には地形を活かした日本庭園や或火山地帯近傍に特有の地形などがあったりします。









庭園は写真の通り枯れた岩場で水の気配すら感じられませんでしたが、なんでも7年に1度湧き水でいっぱいになってそれはそれは美しい景観になるそうです。

その他にも富士山噴火の痕跡(溶岩跡)がクッキリ残っていたりと、地理学的にも興味深い場所でしたね。





以上、楽寿園を中心に静岡県の三島についての旅日記を書いてきましたが、実はまだまだ続きます。長くなりそうなので続きは次に回したいと思います。

人生が5回くらいあったなら

BLEACHのこのシーン、有名ですよね。

BLEACHエアプの自分でもこのシーンだかは知ってます。なぜなら有名だから。


まあ漫画の内容はさておくとして(詳しく知らないため)。


やり直しの効かない1度きりの人生において既に全力でダメな方向にハンドルを切ってしまった自分だからこそ、「あの時ああしておけば」だとか「やり直せるなら〇〇したい」だとかそういったifの自分を空想することがよくあります。

「『もし』とか『たら』とか『れば』の自分に意味はない」とカミナの兄貴に叱られてしまいそうですが、それでももしもの自分を考えることにはそれなりに意味はあると私は思います。

今の自分を作り上げている要素は過去の自分が意図的に或いは無意識のうちに選んだ選択の連続が作り上げた結果であると同時に、私が思うに今の自分は明らかに『ありえた自分』の中での特異点だとおもうからです。
仮に私が今現在の24年間の記憶を保ったまま人生をやり直したとしても、今の自分まで戻ってこれる自信が全くありません。それくらいまぐれや偶然が重なって今に至る道のりを歩んできたと思っています。だからこそ、他にありえた自分や他にやりたかったことを考えることにはきっと意味がある。そうすることによって今の自分の良さと悪さが少しは分かるかもしれない。そう考えています。

さて、もし人生を5回あったとしたら私は何を思うのでしょうか。



・サークルを4年間ちゃんとやり通して大学を楽しむ。
ラノベ作家になって、売れるラノベと好きなラノベを両方書く。
・建築やデザインを専攻して、ヨーロッパに留学して自分だけのアートを極める。
ハンドボールを大学でも続けて教職を取って教員になり、後世に指導する。
・バイトで稼いだ金を全額海外旅行に使って、もう海外で職を探して現地人になる。



人生が5回あったなら、ありうる未来やありえない未来を色々想像して今の自分じゃない自分は何をやってるか。案外考えてみると難しいもので、10年後の自分を想像してくださいという質問に似たものを感じます(現段階で私は10年後の未来がまだ描けないでいます)。


一つ一つ、理由を紡いでいきましょう。



まず心の奥底に残ってる後悔のひとつに、僕は学部時代にサークルに所属して4年間やりきらなかったということがあります。
アイドルの追っかけに活動を全振りしてたからで、まあアイドルオタク自体がサークル活動みたいなものだったと言えなくはないですがやはり学内のサークルに入っていないと学内の交友関係は希薄になります。
出会いを求めてのテニサーやイベントサークル、或いはガチで運動部、はたまた大学にしかない奇抜なサークル……なんでもいい、なんでもいいから4年間きっちり続けたかった。4年間続けたことはきっと大きな財産になります。アイドルオタクをしながらでもなにか出来たんじゃないか、なら人生をやり直したらサークル活動を思いっきり楽しんでみたいのです。




次にラノベ作家。
私の高校時代の夢はラノベ作家でした。近所の古本屋で1冊50円でラノベを買い漁って、年間ラノベを100冊以上読んで「俺ならこれより面白いラノベ書けるぜ!」とエブリスタで小説を書いたりしてました。
受験期になって、あまり小説を書かなくなり浪人してアイドルにハマってと次第にラノベ作家の夢は失せて私は遠征ばかりするアクティブアイドルオタクに鞍替えしていました。でも、自分だけの物語を作った経験はすごく楽しかったし、自分の書いた物に対して顔も知らない誰かから批判されたり褒められたりどちらもすごく有難かった。今は忙しいを言い訳にして小説は全然書かないし、昔みたいに熱意がないからプロットなしでゴリゴリ小説を終わりまで導けません。2、3話書いたら筆が止まります。だから本格的に小説をコンスタントに書いて、ラノベ作家になることに挑戦してみたい。そして、売れる作品を意識して書くことと自分の好きな作品を書くことを両方やってみたいなと。生活は苦しくなるかもしれませんが、自分のもしもの人生にこれは欠かせません。



自分と今まで無縁の分野で、最近興味を持つようになったもののひとつに芸術があります。最近はよく博物館や美術館に行ったりしますしそれについてもブログにいずれ書いたりしたいなと思っていますが、それはともかく。今の研究分野と全く関係ない所で、デザインやアートについて深く考える人間になりたいなと思う時があります。デザインに対して敏感な人は人の感性を存分に観察している人だと思います。私はそこら辺の感覚が鈍くて、あまり察知することができません。デザインやアートといった観点に理系の感覚を混ぜて、そう特に建築などを専攻して留学して学びたいなとか思ったりします。今自分がやってる研究も楽しいのであれですが、やり直すとしたらそういった未来もあっていいのかなと思います。




私は中高ハンドボールをやっていて、別に対して上手かった訳では無いのですが6年間何やかんや楽しかったと思っています。高校の最後の方は顧問と反発して仲があまり良くないまま終わってしまっていて(部活の同期達とは今でも仲がいい)後腐れって奴が少しだけ残ってるのですが。
大学でもそんなハンドボールをある程度真剣にやりつつ、教員免許を取って中学や高校の後身に指導するっていうのも面白いんじゃないかなと思ったりしています。私は後輩に対する接し方が下手な(というか全般的に人との接し方は下手だと思ってる)人間ですが無条件で基本的に後輩は可愛いと思える人間ですし自分の失敗を超えてより上の人間になって欲しいと思ってます。だから、そんな風に誰かにバトンを託す人生も悪くないなと今思います。




私は海外に行ったことがありません。パスポートすら持っていません。海外旅行が趣味という人とたまに会う時があります。大概話は全く合いません。日本に根付いてアイドル行脚をしてきた人間と海外を飛び回る人間だと視点が違うのでしょう。
趣味に海外旅行を挙げるくらい海外に親しめたのならば、或いは日本的価値観を逸脱して海外に在住するような判断ができたのならそれはそれで楽しそうだと思います。今の自分と全く違う形として日本に定住しない人生があってもいいのではないでしょうか。







尊敬する教授の講義で、「今の自分と全く違う自分としての夢を3つ即座に挙げれなければならない」という言葉がありました。
今の自分の夢とはまた別の夢を3つ持っておけば、コケた時にすぐ移れるからということでしたが、あまたの夢を持つことは今の自分自身にも良い影響を与えるのではないかと今思い返してみたら思います。

長くなりましたが、人生が5回あったならという仮定を真面目に折に触れて考えることをこれからもちょこちょことして行きたいなと思います。あと、BLEACHはいつかちゃんと全巻読みます。

喉から手が出るほど欲しい創造性

0から1を作れる人間に嫉妬します。


何もないところから新しいアイディアを生み出せる人間、今まで誰も気づきもしなかったアイディアによって既存のものの性能を飛躍的に向上させる人間、異分野の技術を水平移動させて応用する人間……羨ましくて仕方が無い。


オリジナリティ、自分にしかできないことに凄く憧れがあって、それが実現できない自分にすごもどかしさと苛立ちとコンプレックスを感じます。


世の中のあらゆる仕事や活動のそのほとんどは誰かが代わりにやっても成り立つことかもしれません。その中でその人の個性を活かした仕事をしていく。なんて素晴らしいことなのでしょうか。

オリジナリティを出して活躍している人達の裏には数えきれない努力が積み重なった結果であろうことは理解できます。努力をコツコツ積み重ねたからこそ自分の『創造』が形になっているのであって。それは理解できますが、私には正しい方向の努力をひたすら積み重ねられる人間が才能のある眩しい人間に見えるのです。



人から言われたことが出来ても、結局それは誰かの代理であってそうじゃない自分の意志がくわわった何かを私は創り出したいと心から思っています。でもそれは本当に難しい。
0から1を生みだす為には、おおよそ今の自分では想像もできないようなしんどい道のりが待っているのでしょう。容易にできることでも、誰にでもできることでもないと思います。


何かを残せる人間になりたいが、そうなるためには多大な犠牲を払わなくてはならない。そんなリスクよりももっと賢い期待値の高い生き方はいくらでもあるでしょう。



それでも私は憧れます。
私は金をパチンコなどのギャンブルに注ぎ込む人をすべからく軽蔑しています(ギャンブルを理論的に考えてプロとして生計を立てている人は別として)が、自分だけの何かを生みだす為に時間を通貨としてギャンブルを行う人を心からかっこいいと思います。自分もそうなりたい。二の足を踏みつつも、やはりそう思います。


時間という通貨は金よりもさらに重たいと思います。その時間をチップに変えてベットしなくては創造性は養えない。リスキーだがとても魅力的。


創造性を手に入れて自分の力で活躍している人に憧れて、そして結果的に失敗してしまった人も私は尊敬します。
時間をチップにして未来に賭けられる覚悟それ自体が凄いことだから。


現実とのバランスを考えながらも、私は自分にしかできない何か粘り強く死ぬまで探していきたいなと思います。一生見つからないかもしれませんが。

東京。

関東圏以外の地方に住んでいる方にお聞きしたいのですが、皆さんは何回東京に行ったことがありますか?
東京にはどれくらいの頻度で行ったことがありますか?

私は大阪(2年前までは奈良)に住んでいるのですが、大学在学中の4年間だけで少なくとも100回以上は東京へと足を運んでいます。新幹線で行ったのは極小数で、その殆どは粗悪な4列夜行バスで寿司詰めにされての行脚でした。


東京という街に初めて行ったのは大学に合格してすぐの浪人生最後の春休み、3/15でした。
当時1番ハマっていたアイドル(今でももちろん好きですが)のももいろクローバーZの国立競技場での単独ライブに参戦するためです。

修学旅行以外で関西圏を出た経験のなかった私は、親のお金を使って新幹線に乗り込み、大阪から名古屋、そして東京へ至るまでの風景を食い入るように見つめました。そして生まれて初めて東京駅に着いた時にはその人の多さ、乗り換えの複雑さ、ホームの多さ……とにかく目に映る景観全てに圧倒され感動したものです。
ライブの感想は本題から逸れるので割愛させて頂きますが、国立競技場付近で余りにも多い人々の群れの中で、本当に知り合いが一人もいなかった自分は開演時間まで会場の隅でじっと何もすることもなくうずくまっていました。そんな私に話しかけてくれた同じような身の上の歳上のオタクの方がいましたがその彼も北海道出身……東京の人混みは大阪のそれを遥かに凌駕する異質なものに見えました。

ライブ終了後、新宿のホテルに泊まるとその翌日には逃げ帰るように新幹線で奈良まで帰宅しました。帰ってきてから凄く疲れていたのもあり、私はぼんやりと今後東京は暫く訪れることは無いだろうと考えていました。しかしながら、その予想は外れることになります。



ブログでも何度か申し上げている通り、私の大学4年間はほとんどアイドルと共にありました。1年生の入り初めの頃はサークルに入り大学生活を謳歌する予定でしたが、浪人生活から解放された反動でももクロのファンクラブイベントが見たすぎて、そこで初めて一人で自分のお金を使って夜行バスを使うことを決意。東京と大阪は往復で1万円もしないことを知ってしまうのです。
そして、それから私にとって東京は実家の奈良から大阪の梅田に行くのとさほど変わらないノリで気軽に足を運ぶ場所になりました。


日本のおおよそあらゆるカルチャーは東京を中心に回っています。アイドルもその例に漏れず、おおよそのイベントやライブは東京を中心とした関東の都市圏で行われるものです。

私は大きなライブや握手会を中心に、まずは関東圏の大きなホールを回るようになりました。東京なら国立競技場や日本青年館代々木第一体育館など、神奈川に向かえば横アリや日産スタジアム、埼玉の西武ドームSSA、千葉でも幕張メッセ舞浜アンフィシアターなど……。ライブハウスや野外のフェス会場を併せれば書ききれない膨大な数にのぼります。
アイドルを通して知り合ったオタクの友達の家にも泊まり歩き、ライブハウスや会場が存在しないような東京の住宅街も色々なところを回りました。東京都23区以内には余すところなくオタクとしての思い出がぎっしり詰まっていて、2019年の今、どこを訪れるにしろアイドル関連の思い出が蘇ります。


そして、いつの間にだか更にマイナーなアイドル(所謂ももクロの妹分と呼ばれる子たち)にハマるようになりました。関東近傍でしかイベントをしないアイドルだったので、ライブを見てお話をするために、私はいよいよ毎週のように夜行バスに乗り込み東京に行くようになりました。わざわざ奈良からせっかく東京に来たのに、毎週毎週関東の外れのショッピングモールで一日を潰し同じようなライブを見て物販に足繁く通うだけの週末……周りには自分よりも歳上の関東在住のお金を持った人達ばかり。
金銭的にも体力的にも疲弊しつつも、いくばくかの大学の講義や生活を犠牲にして、バイトで稼いだ泡銭をすべてつぎ込んで遠征を繰り返していました。


そんな生活を続けているとどこかで糸が切れるのは当たり前で、ある日突然私は夜行バスに乗ることも、東京の嫌気がさすほどたくさん人が乗っている電車を見ることも、関東じゃなくてもどこにでもあるような僻地のショッピングモールに出向くことも、代わり映えのないライブを見ることも、もはや話す内容もないのにアイドルとの会話を捻出することも、全てが嫌になってしまいました。

最初に来た時にはあれほど広く見えた東京は、いつしかやたら人が多いだけの窮屈なウサギ小屋にしか見えなくなったし、結局凄そうに見えるのは見た目だけで本質は田舎の寄せ集めみたいな場所だなと色褪せて感じるようになりました。



そんな境地に達してから一、二年が経ちますがアイドルじゃなくて大学関係の用事等で東京を訪れることはままあります。

夜行バスではなく、移動には新幹線を使うようになりました。
今度は親の金ではなく、大学のお金です。



新幹線に乗ると3時間少しで大阪から東京に着くので、「な~んだ、やっぱり大阪と東京は近いじゃん」と思ってしまいます。
そして人がひしめき合った東京の街を歩いていても都会に来たという感覚はなく、ただ自分が住んでいる大阪の延長線にある街の一つに来たに過ぎないとさしたる感動もなく目的地へと向かうだけです。
東京の主要な場所そのものにはもはや目新しさはなく、あるのは在りし日のアイドルやオタクの友達との思い出だけです。


ですが、東京の全ての輝きか失われた訳ではありません。
オタクとしての活動をしているときなら行かなかったような場所、その一例として、たとえば東京の美術館や博物館などを巡っていたり少し高いランチを食べたり普通なら行かないビルとビルの隙間を敢えて通ったりする時にまだ見たことのない場所を踏みしめる新鮮さを感じます。



これからは新しい側面から東京と接することができたらなと思いつつ、今後も出張等であまりに慣れた道のりをなぞって東京に何度も向かうのです。