孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

喉から手が出るほど欲しい創造性

0から1を作れる人間に嫉妬します。


何もないところから新しいアイディアを生み出せる人間、今まで誰も気づきもしなかったアイディアによって既存のものの性能を飛躍的に向上させる人間、異分野の技術を水平移動させて応用する人間……羨ましくて仕方が無い。


オリジナリティ、自分にしかできないことに凄く憧れがあって、それが実現できない自分にすごもどかしさと苛立ちとコンプレックスを感じます。


世の中のあらゆる仕事や活動のそのほとんどは誰かが代わりにやっても成り立つことかもしれません。その中でその人の個性を活かした仕事をしていく。なんて素晴らしいことなのでしょうか。

オリジナリティを出して活躍している人達の裏には数えきれない努力が積み重なった結果であろうことは理解できます。努力をコツコツ積み重ねたからこそ自分の『創造』が形になっているのであって。それは理解できますが、私には正しい方向の努力をひたすら積み重ねられる人間が才能のある眩しい人間に見えるのです。



人から言われたことが出来ても、結局それは誰かの代理であってそうじゃない自分の意志がくわわった何かを私は創り出したいと心から思っています。でもそれは本当に難しい。
0から1を生みだす為には、おおよそ今の自分では想像もできないようなしんどい道のりが待っているのでしょう。容易にできることでも、誰にでもできることでもないと思います。


何かを残せる人間になりたいが、そうなるためには多大な犠牲を払わなくてはならない。そんなリスクよりももっと賢い期待値の高い生き方はいくらでもあるでしょう。



それでも私は憧れます。
私は金をパチンコなどのギャンブルに注ぎ込む人をすべからく軽蔑しています(ギャンブルを理論的に考えてプロとして生計を立てている人は別として)が、自分だけの何かを生みだす為に時間を通貨としてギャンブルを行う人を心からかっこいいと思います。自分もそうなりたい。二の足を踏みつつも、やはりそう思います。


時間という通貨は金よりもさらに重たいと思います。その時間をチップに変えてベットしなくては創造性は養えない。リスキーだがとても魅力的。


創造性を手に入れて自分の力で活躍している人に憧れて、そして結果的に失敗してしまった人も私は尊敬します。
時間をチップにして未来に賭けられる覚悟それ自体が凄いことだから。


現実とのバランスを考えながらも、私は自分にしかできない何か粘り強く死ぬまで探していきたいなと思います。一生見つからないかもしれませんが。