孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

『成人』していない自分

私は今年で25歳なんですけどまだまだ全然成人してないんですよね……。
いや、成人式は行きましたしお酒も飲めるタバコも吸えるTSUTAYAの暖簾もくぐれるんですが自分の中ではまだ『成人』していないようなそんな思いがずっと残ってるんです。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E5%B9%B4

Wikipediaでサクッと成人の意味を見てみると、



成年(せいねん)または成人年齢(せいじんねんれい)は、法的には、単独で法律行為が行えるようになる年齢のこと。

一般社会においては、身体的、精神的に十分に成熟している年齢を指すことが多い。


と、あります。
自分は法的には確かに成人しているし身体も間違いなく大人だし、精神的にも多少子供じみたところはあれどそれなりに分別はある方(だと信じたい)です。



ですが、なのにどうしても、私は私のことを『成人』とは思えない。


…………。


なんでかを考えてみた時に結局のところ、やはり他者と自分の人生を比較してしまって、無意識に自分は人並みの経験を積んでいない劣った人間だと感じてしまってるんですよね。


まず私は24歳にして未だに学生です。大学院生で遊んでばかりいる訳では決してなくても風潮としてやはり『学生は社会人に比べて楽してモラトリアムを謳歌している』という風潮があるのは事実だし同年代の友達がみんな就職してしんどいと言いながらも車買ったり海外旅行行ったり人によっては結婚してたりとしてるのを見ると「俺は遅れてるな……」と感じてしまうわけです。

大学生だって大人じゃないか!と言われる人もいると思いますが、一方で人並みの大学生が経験していると思われるキラキラした学生生活もろくすっぽ経験しておりません。
サークルのメンツでオールで飲み明かしてカラオケで騒いだ経験もないし、合コンに誘って頂いた経験もないし、同じ大学内の女子と付き合った経験もないもっと言えばほとんど喋ってすらいないわけです。
海外旅行も行ったことがないです。サークルの友達と一緒にヨーロッパに派手な卒業旅行に行ったこともなければ高校の同期と近場の韓国やら台湾に行ったこともないし、インドに行って世界観が変わった覚えもない。

大学時代にやってたことといえば、日雇いのバイトでお金を稼いで全国津々浦々へのアイドルの追っかけでした。


社会に出て働いている大人がよく言う『学生のうちに遊んでおきなよ』の遊びを何も経験していないわけです。
社会人の言う遊びは、大学の同期とのバカ騒ぎと学内恋愛と海外旅行(偏見すぎるか?)のことをおおよそ言ってると思うのですが、私はその経験が全くない。高校生のレベルで人生経験が止まっているかのような錯覚を味わっているわけです。いや、高校時代も恋愛とかしたことないしラノベしか読んでなかったから中学生かそれ以下なのかもしれない。



人が自分自身を疑いなく肯定をするためには『多くの人が当たり前に経験してるであろう華やかな娯楽』を沢山浴びていることが必要なのではないかと思います。
スポーツや芸術など、何かひとつ秀でた才能を持った人はそれに従って特別な人生を生きる自負があるからもしかしたら『当たり前の経験』が全くなくても気にならないのかもしれません。
ですが、私のような特に秀でたところのない人間にとって当たり前の経験に欠けていることはすなわち『人として成していない』と感じるくらいに重大なことなのです。


このギャップを埋めて自分が成人したと認められるようになるためには、自分だけの『特別ななにか』を見つけて社会で役に立つか、或いは欠けてばかりの当たり前の経験を沢山これから積むしかありません。
これらはどちらにせよ、受動的であった自分の人生を改めて初めて達成出来る目標なのでなかなかしんどそうです。


私と同じように自分が『成人』していないとどこかで感じている人たちへ。
年上のあなたも年下のあなたも一緒にがんばりましょう……。