孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

ワタミの理念経営 【ブックオフ珍書発掘隊 その9】

 

ブックオフ珍書発掘隊!!

 

さて、7月最後のブックオフ珍書発掘隊である。

前回のブックオフ珍書発掘隊では労働に関する珍書を取り上げた。

 

2arctan-1.hatenablog.com

 

いかに人件費を抑えるか、労働基準法を解釈してうまい就業規則を作るか……経営者と労働者の間の損得や合意のバランスが崩れた時にブラック企業は生まれうる。前回はそのようなことを学び取ったのであった。

 

それでは、実際世間がイメージするようなブラック企業は果たしてどのような仕組みになっているのだろうか?

どんな仕事で、どんな労働環境で、どんなモチベーションで社員は働いているのだろうか?

そして、経営者はどんな目的で世間からブラック企業と呼ばれる企業を動かしているのだろうか?

その疑問に迫るべく、私はブックオフの片隅で禍々しく金色に輝いていた一冊を発掘したのだった。

 

 

 

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ワタミの理念経営/田中省吾 著

日経BPコンサルティング

2010年5月24日発売

購入価格:210円(定価:1,500円+税)

 

 

珍書度:★★★★★★

内容のまとも度:★

おすすめ度:★★★★

ワタミの企業理念数多すぎ度:★★★★★★

渡邉美樹サイコパス度:★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 

 本発掘録の目次:

 

 

1. なぜ本書を選んだか?

金色のシックなデザイン。

 

穏やかながら、どこか自信がうかがえる笑みを浮かべた渡邉美樹の横顔。

 

『地球上で一番たくさんの’ありがとう’を集めるグループになろう』と裏表紙にデカデカと書かれた理念。

 

本書を手に取った時に、必ず発掘せねばならないという使命感に駆られた。

その時私が感じた使命感はきっとワタミグループの理念にも匹敵する強い動機で衝動なんだと信じている。

 

 

2. 書評

2.1 本書の概要

本書の中では、良くも悪くも日本でトップクラスに有名な社長である渡邉美樹氏が立ち上げたワタミグループの歴史と理念がコンパクトにまとめられている。

ワタミそのものの具体的な歴史と言うよりかは、渡邉美樹が会社を起こすまでの苦労とその経験から生まれた理念、そして介護、農業、教育……と様々な領域に事業拡大するワタミグループの考え方のベースなどに触れられている。

 

端的に言うと、ワタミはなぜ『こんな会社』になったのか、これからどのような会社になっていくのかという部分にフォーカスした著書と言える。

 

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本書のベースとなるワタミグループの『理念』は4ページにわたってびっしりと埋め尽くされている。その数の多さ及びまとまりのなさは普通の企業ではありえないだろう。

渡邉美樹曰く、「その理念を作った時に感じたことを残したい」とのことだが、ここに書かれている理念のようなことを人生の節目節目で感じてきたのかと思うと、すでに渡邉美樹が只者ではない気配がプンプンする。

 

ワタミグループによる美しき理想の実現とその根元に存在するハードワークが、本書を通してありありと感じられる。

 

以降の2.2節ではワタミグループの理念、歴史と事業内容について、そして2.3節では渡邉美樹自身の人物像とワタミの労働形態を中心に掘り下げていく。

 

 

2.2 渡邉美樹の強い理念とその実践

ワタミは元々居酒屋チェーン『つぼ八』から分離独立して生まれた会社である。

 

幼少期から「社長になる」という夢を描いていた渡邉美樹は大学時代に海外を放浪し、人種や年齢に関係なく全員が楽しく過ごすニューヨークのライブハウスに感銘を受けて幸せな空間を創るべく飲食業での社長を志した。

渡邉美樹は大学卒業後経理を半年間学び、ヤマト運輸のドライバーをして資金を溜め、そして居酒屋チェーンつぼ八のオーナーとして経営者の道を歩み始めた。理想のための道のりを順調に歩んでいるように見える。

 こうして経営者としては順風満帆なスタートを切ったわけだが、店舗数を増やしていく中で経営戦略に失敗して一転経営危機に陥ってしまう。そして苦悩の末それを克服するまでの話がワタミ創設時の話として書かれている。

 

渡邉美樹はこの時代の経験を元に、後のワタミグループの経営目的の原形となる『幸せのコップ』の概念を考えている。

 

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↑同心円状に広がる幸せのコップの概念。現在のワタミグループのお客様に徹底的に奉仕するという方針の原形と言ってもよいだろう。

 

稼いだお金を自分のためだけでなく周りの人のために使う。

幸せを自分だけのものにするのではなく、周りの人に分け与えていくことによって最終的には人類全体が幸せになるという壮大なビジョンである。本書全体を通して、渡邉美樹は営利的な部分にはあまりフォーカスせず、この『幸せ』という要素を重要視している。

 

その後渡邉美樹の経営する店舗は手間暇をかけた料理や、誠心誠意お客様をもてなす接客が人気を呼び人気店となっていく。

そして事業を拡大し、ワタミグループとして経営に移行するときに会社全体のミッションを初めて発信した。

 

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ワタミグループのミッション。『よりよい』が2回出てくる辺りに渡邉美樹の理念の圧の強さを感じる。

 

そして、そのミッションを分かりやすく捉えるスローガンとして「世界一ありがとうを集める企業になろう」というワタミグループを一言で表す言葉が誕生したわけである。

ワタミグループは渡邉美樹の強い理念をベースに外食産業だけでなく、介護や農業、教育分野にまで進出した。

あちらこちらに様々な事業に手を出しているように感じるかもしれないが、そのベースには『お客様の幸せを追求する』という強い理念がある。

 

たとえば、本書の中では介護事業における理念の実践について詳しく書かれている。

 

渡邉美樹は2005年に介護事業を買収すると、おむつゼロ、特殊浴ゼロ、経管食ゼロ、車いすゼロの四大ゼロを掲げた。

施設に入った高齢者に生活を楽しんでもらいたいというアイディアから生まれたものであろうが、現実的に難しく現場の職員に負担がかかる理想論的な目標である。

渡邉美樹は外食産業で培った効率化を導入し、さらに経管食ゼロという目標としては顎の力が衰えた高齢者でも美味しくご飯が食べれるように独自のミキサー食を自社開発している。そこには採算を度外視した、ワタミグループの、渡邉美樹の強い意志が感じられる。

ワタミグループが掲げた理念を忠実に遂行し続けているという一つの例である。

 

本書の初めで、ワタミはビジョナリーカンパニーであると言われている。

 

つまり、『合う人にとっては素晴らしい企業であるがそうでない人に居場所はない』企業である。渡邉美樹の掲げた理念に共感し、目の前の仕事に一生懸命取り組む人たちが世界中の幸せのためにワタミグループで汗水たらして働いているのである。

 

仕事の過酷さは別として、ここまで献身的になれるのはすごいことであろう。そこがワタミグループの強みであることは間違いない。

 

 

2.3 誰かの犠牲の上に成り立つ幸せ

さて、2.2節の解説内容を読めばワタミグループは素晴らしい理念をもったビジョナリーカンパニーなのであるが、実際は手放しで全てを褒められるほど潔白な企業かというとそんなことはない。

 

本書を通して浮かび上がるのが、渡邉美樹という男の異常性である。

仮に渡邉美樹やワタミのことを何も知らない人がこの本を読んでも、渡邉美樹が完全に逝っちまってる人間だということは察するだろう。 

本書のライターは渡邉美樹の言動や行動などを批判しておらず全体として肯定的な文章で描写しているが、そうであっても彼の恐ろしい性質は目立っている。渡邉美樹という男の異質さはどうあっても隠し切れないのだ。

 

前節で取り上げたつぼ八のスピンオフ店舗でオーナーをやっていた時代、渡邉美樹は3店舗目の増設で出店の戦略を誤って経営危機に陥った。

様々な対策を取るがどれも上手くいかない中、店舗の黒字化のために渡邉美樹がとった戦略が『40日間毎日16時間営業を続ける』というものであった。

 

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↑「いい方法を考えたぞ!」じゃないんだよ。

 

このエピソードから何となく察せられる通り、渡邉美樹は『同志』である自社の社員やアルバイトなどに対して非常に高い水準の要求をしている。前節で取り上げたようなワタミグループの理念に共感し、常に肝に銘じて高い水準で仕事をし続ける能力が求められる。

 

渡邉美樹によると「自分の二人の実の子供も社員も、どちらも自分の子供」と言い切るぐらい、社員を密接な存在として考えている。

身体を壊してしまった社員や他社員と上手く折り合いのつかない社員にも必ず然るべきポジションを用意して思う存分仕事をさせる。その一方で、『頑張りどころ』で辛い業務を命じる時に後ろめたさは一切ないとのこと。

その価値観が前述の40日間連続勤務などで現れていると言えるだろう。

 

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↑渡邉美樹は自社の社員に対しては家族とまで言い切るほど執着的だが、志を違えた元社員に対しては驚くほどドライである。

 

 

そして、そのような価値観の相違による従業員との軋轢はワタミの繁栄の裏で常に存在し続けたようだ。

 

先程紹介した介護事業にしてもそうだ。

介護の仕事は非常にハードであり、渡邉美樹が掲げた『4大ゼロ』は立派な理想ではあるが実際の現場との乖離があることは間違いないだろう。

なるべく特殊浴を使わず、車椅子も使わず、料理もなるべく普通のものを食べさせて……となると介護士の負担はとてつもない。とはいえ人員を増やしてしまうと経営が成り立たなくなってしまうため、渡邉美樹は徹底的な業務効率改善によって1人あたりの業務内容を劇的に増やした。給料はさほど上げずにである

 

当然元々働いていた介護職社員は反発し、直談判に打って出た。

それに対する渡邉美樹の反応はと言うと、

 

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……渡邉美樹には介護職員の訴えが理解できなかったのである。

 

本書内では介護士側に非があるように書かれているが、この部分に関しては私は介護士側の言い分がもっともだと思っている。

『今までと違って勤務時間中に息抜きする時間が減ったから』文句を言っているような書かれ方をしているが、介護職のような賃金の割にハードな仕事でおいて、給料が上がらないのに仕事量と難易度が急増したことに対して異議を唱えない方がおかしい。しかも介護職に関しては素人の渡邉美樹の理想を押し付けられた形でだ。

職員たちの意志は「私たちの幸せはどうなるんですか?」という一言に集約されている。

その後企業を買収した当時600人近くいた介護出身者は、その後1年でなんと半分の300人が辞職してしまった。しかしながら渡邉美樹は全くそれに動じることがなく、無理だという幹部社員を説得し、外食産業など他事業の社員を一部転換するなどして理念を貫き通した。

介護による社会貢献の素晴らしい美談の裏では従業員たちが犠牲になっている。

 

渡邉美樹の、ワタミグループの考えの中には『職員たちの幸せ』の視点が欠けているのである。

というよりは、ワークライフバランスを保ちながら働くことはワタミグループの社員にとっての幸せだとは定義されていない。

渡邉美樹の理念に共鳴し、常に身を粉て働き続けベストを尽くし社会に奉仕し続けるということが恐らくワタミグループにとっての幸せなのだろう。

 

社員の都合よりもお客様の都合を優先するというこの方針は、メイン事業である外食産業でも見受けられる。

和民では業務改革会議(業革)と呼ばれるお客様からのアンケートはがきを分析するミーティングが週に1度行われている。

様々なクレームがあるが、和民の理念に反するクレーム(接客態度が悪いなど)が入った場合には厳しく店舗を指導し、場合によっては客先まで謝罪に行く。許してもらうまで何度も通うといった徹底したお客様ファーストの姿勢が本書内では書かれている。

 

 

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↑客先に謝罪に行ったけどいなかった時のエピソード。踏んだり蹴ったりである

 

 以上で述べたように、ワタミグループの繁栄の裏には従業員たちの血の滲む努力、献身が常に存在してきた。渡邉美樹は社員に夢を実現するために具体的な手帳を持つよう指示したり、年一回のボランティアに行かせたりする。理想の人間を育てるべく、決して渡邉美樹はその点で妥協はしない。

自分の幸せをすべて他人にあげる覚悟で働くことはよいことなのか?この点については難しいところである。渡邉美樹と理念を共にしてハードワークをこなす本人は幸せと感じていても、周りの友人や家族はそう思わないのかもしれない。

 

news.yahoo.co.jp

 

上記のニュースなどで取り上げられる世間のワタミのイメージを決定づけた過労による自殺なども、この体制では起こるべくして起こるものと言えるだろう。だが、ワタミグループはそのことでは潰れない。ワタミグループのサービスが『客にとっては』安価で素晴らしいものであるからだ。

 

 この事実については、我々は一度キチンと考える必要があるのかもしれない。

 

3. 総評

ブラック企業と呼ばれているワタミヤバそうなバックグラウンドや思想を知りたくて本書を手に取ったが、思っていたよりも色々考えさせられる内容でびっくりしたというのが正直なところである。

 

ワタミグループの異常なところは、会社の利益のために従業員をこき使うというブラック企業のイメージ像とは実は全く異質なところにある。

渡邉美樹個人は、恐らくほぼ完全にサイコパスに分類される人間であろうと思われる。だが、彼は同時に通常の人が掲げることすら憚られるような純粋な夢を描き、その夢に殉ずるかのごとく粉骨砕身働き続けてきた。

とはいえ、そのような姿勢は現代日本の方向性とは全く異質なものである。

この本の出版の数年後にワタミブラック企業大賞を受賞しブラック企業の代名詞として大きく企業価値を落とした。そのあおりを受けてか、労働組合を結成するなど体制を少しは変革しているようだ。もっとも、当の渡邉美樹の言動を見る限り、過去の行為について反省はしていないだろうが……。

 

ワタミグループが手掛けた多様な事業のうち、介護事業は赤字の際に損保ジャパンに売却されたらしい。教育事業に関して、郁文館夢学園(すごい名前だな……)は現在も渡邉美樹が理事長を務めている。

メイン事業である外食産業は絶賛活動中であり、一時期はブラック企業のイメージにより赤字に突入したが、『ミライザカ』や『三代目鳥メロ』と名前を変えて現在は人気を博しているようだ。農業や宅配食などの事業もワタミグループの食に関するサービスの強力な土台となっている。

ワタミは居酒屋の名前を変えたから黒字回復したと巷ではよく言われている。

しかしながらブラック企業といくら世間から言われようとも、我々ユーザーからしてみれば丁寧な接客とそこそこの料理が食べられる雰囲気のいい居酒屋であることは間違いない。名前を変えるという戦略以外に、元々のサービスの良さが黒字転換の要因ではないかと私は考えている。

我々が普段気軽に利用してるサービスの裏で自身を犠牲にしてボロボロに働いている誰かがいるのかもしれない……。

 

余談だが本書のAmazonでのレビューは荒れに荒れている。

渡邉美樹の今まで行ってきた功罪を考えるとごく自然なことだが、本書をブラック企業経営者をマンセーするだけのくだらない本と切り捨てるのは勿体なく感じる。

世の中の幸せのために文字通り自分を犠牲にして働く(あるいは働かされる)人々がいるからこそ、我々は安価で素晴らしいサービスを受けているのだと、そういう普段は目を背けているような社会の歪みに目を向けさせられる一冊だと私は感じた。

 

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さて、ブックオフ珍書発掘隊も次で記念すべき第10回を迎える。

次回の著書は第10回にふさわしい、非常に怪しくも興味深い珍書を取り上げるつもりである。ジャンルとしては、今まで触れてそうで触れてこなかった宗教系の一冊を取り上げるつもりでいる。

乞うご期待。

 

 

To Be Continued...