お疲れ様です!なんやかんやで、いつの間にか30歳になっちゃっていました。
ひとつの節目ですが、あんまり今のところは実感がありませんね……。これから出てくるのかな?
せっかく30歳というキリのいい年齢になったので、これまでの人生のイベントとかを振り返って年表にしてみようかなと思います。
真面目なものを書いても仕方ないので、なるべくどうでもいいものや恥ずかしいものを選び、『こいつ普段イキってるけどめっちゃダサいんだな……』ということを読者の皆様に感じてもらえたらと思います。
それでは、暇な人は以下をお読み下さい。
目次:
幼年期
0歳
某市の病院にて誕生。産まれた時の体重は約4500gであり、その年その病院で1番でかい新生児だったらしい。
1歳
新生児とは思えないくらい飯を食べており、生後3ヶ月で10kgを超える巨大児だったらしい。
もちろん記憶にないが、母方の実家帰省時に阪神・淡路大震災に被災していたとのこと。中心部ではなかったので被害は軽微だったようだが、場合によっては1年未満で人生終了してた可能性もあったと思うと恐ろしい。
2歳
遊んでたおもちゃの滑り台から落ちた記憶あり。これが私の最初の記憶。
3歳
回覧板を母親と私に行った時に門から家まで距離がある家が近所にあって、2頭のでかいドーベルマンが近づくと走って門に突進してくるのでめちゃくちゃ震えていた。
4歳
ここら辺から幼稚園に通っていたはず。ほぼ何も覚えていない。
5歳
結構女の子の園児とも遊んでもらっていた記憶がある。これ以降、女友達は今に至るまで一人もいない。
当時ヤンキーが多い地域に住んでおり、幼稚園にして金髪とピンク髪で三つ編みで後ろ髪を結っていた派手な髪型の友人などと一緒に市民プールに行ったりしていた。
6歳
親の仕事の都合で生まれた地を離れ、田舎に引っ越す。3ヶ月だけ現地の幼稚園に行くも関係性が出来上がったコミュニティに一切馴染めず、ほとんど幼稚園で喋った記憶がない。
小学校時代
7歳
担任が新任の若くて優しくて美人な先生だったのでイキイキ学校に通っていたが、途中でその先生が『家庭の事情』で退職しベテランのおばさん先生に変わってから一気にやる気がなくなり心配されていた。
太りすぎて足が遅かったのでマラソン大会で学年でビリから3番目。俺より遅かった2人は特別支援教室に通ってる女の子。
8歳
しっかり太っていて運動神経が悪かったので休み時間のサッカーとかでディフェンスという名目でゴール前で1人で突っ立っており実質的にハブられていた。
太りすぎて足が遅かったのでマラソン大会で学年でビリから3番目。俺より遅かった2人は特別支援教室に通ってる女の子。
9歳
宿題の算数プリントを毎日解いているのに、そのまま家に置いたまま登校し忘れることを繰り返す謎の時期に突入。毎日担任のおばちゃん先生に怒られ、学校で居残りして1度やった宿題をもう一度全てやってから帰る日々を過ごし頭の心配をされていたが、4年生に上がると嘘みたいに治った。
太りすぎて足が遅かったのでマラソン大会で学年でビリから3番目。俺より遅かった2人は特別支援教室に通ってる女の子。
10歳
後にしっかりグレて学校に来なくなる団地に住んでるやんちゃな友達の家でよく遊び、家で喧嘩し泣きながら自宅に帰るということを繰り返していた。ちなみにその友達にしれっとゲームソフトを2本パクられており、2024年現在未だに帰ってきていない。(バンジョーとカズーイの大冒険、マリオ&ルイージRPG)
太りすぎて足が遅かったのでマラソン大会で学年でビリから3番目。俺より遅かった2人は特別支援教室に通ってる女の子。
11歳
よく遊んでいた友達がグレる1歩手前みたいな感じになるが、太っていてどんくさかったのであんまり仲間に入れてもらえずグレることがなかった。今思うと太っていてよかったと思う。
太りすぎて足が遅かったのでマラソン大会で学年でビリから3番目。俺より遅かった2人は特別支援教室に通ってる女の子。
12歳
急に身長が伸びて、クラスで後ろから2番目、学年で4番目にデカくなった。この時代が全盛期で以降は身長を抜かれ続ける人生になる。
身長が伸び相対的に太り具合がマシになったからか、マラソン大会でビリから8番目まで出世した。
中学校時代
13歳
身長が伸びたとはいえ太りすぎてどうしようもなかったので運動部に入ろうと、マイナースポーツだから楽だと思ってハンドボール部に入ったら、死ぬほどきつかった。体力がなくてフィールドで走り続けることができず仕方なしにゴールキーパーになることに。
部員数がギリギリだったので3年が引退すると同時にレギュラーになるも、公式戦デビューで県1位の中学と当たってしまい50分間の試合時間で53点取られて敗北。
14歳
大量に小学校からハンドボールをやっていた経験者の後輩が部活に入り、下手くそだったので死ぬほど舐められるも何故かキャプテンになりわちゃわちゃ後輩や同期と遊びながら練習をしていた。
先輩の引退試合で公式戦初勝利を目指すも初戦で県2位の中学とあたり、50分間で45点取られて敗北。
15歳
部活ではキャプテンなのに下手くそすぎて試合はだいたい後輩のキーパーが出ておりほぼベンチだった。引退試合で悲願の公式戦初勝利を目指すも5点差で惜しくも敗北(後輩が頑張ったおかげ)。諦めきれず中学の県選抜代表選考会に行くも、試合中にコロコロと転がってきたボールを止められずゴールに入って失点してしまい、見学していた県1位の中学の下級生たちに大爆笑され心が折れる。
キッズステーションで放送していたアキカン!をきっかけに本格的にアニメとラノベにハマり始め、萌え絵のラノベを学校で敢えて読むことがカッコいいと思う痛いオタクになるが、クラスの女子にキモいと言われ以降はブックカバーをつけるようになる。
受験勉強として得意科目だった国語の現代文のドリルを購入し必死に解いていたが、受験した高校の科目は数学理科英語の3科目なので全く意味がなかった。
高校時代
16歳
引き続きハンドボール部に入るも、経験者にしては下手すぎるので速攻で初心者の同期に舐められる。3年生の先輩のポイント確保のためにモバゲーを始めさせられ、これが今に続くSNS癖の原点となる。
アニメ好きのクラスメイトなどと打ち解けて仲良くなるも、当時流行っていたエンジェルビーツをバカにした最終回の音無結弦のモノマネをして総スカンを食らってしまい、結局部活の同期やアニメ見ないクラスメイトとの交流に落ち着く。
17歳
部活をしつつ深夜アニメを見、モバゲーで小説を書く傍ら、ガラケーで頑張って30秒くらいのニッチなエロ動画を集めてちょっとずつシコる忙しい日々を過ごす。
練習試合で遠征した時に油断して同期にガラケーの中身を見られ、収集したエロ動画をバカにされブチ切れ一年以上かけて集めた動画を全部消した。その日の晩に猛烈に後悔して静かに涙を流す。
18歳
部活引退後、生まれて初めて塾に通う。国公立試験の前々日に友達の誕生日プレゼント用に仲のいい塾の同期でつぶつぶの芳香剤とゴム手袋を使ってオナホールを作っているのが塾長にバレて死ぬほど怒られるし、それをやってた同期はちゃんと全員大学全落ちして浪人する。
変な尖り方をしていたので、センター試験前の自由登校日は一切学校に行かなかったが、センター試験翌日の自己採点登校日には登校し、点数が悪すぎて泣き出したクラスメイトの女子を見てニコニコしながらお弁当の白米を食っていた。自分もセンター試験失敗したのに……。
変な尖り方をしていたので部活引退後一切髭などを剃らず、もみあげと髭がつながり顎周りを1周するまで伸ばすが、下級生女子に『もみあげ』と陰でバカにされていることを知り、その日のうちに床屋に行き全部剃る。
浪人・大学時代
19歳
全落ちして仕方なく某大手予備校へ。反省し知人が少ない予備校に行くも、クラスが有名進学校の人ばかりで怖気付いて誰とも喋れず以降1年間ぼっちに。
友達がいなさすぎて、某高校受験情報サイトの掲示板に母校の悪口をOBとして書きまくっていたら、中学生に『卒業生のくせに母校の悪口ばかりでお前本当にダサいヤツだな』とガチで説教されてしまい投稿を全て消す敗走ムーブをかます。
友達がいなさすぎて、かまって欲しくて高校の部活同期のLINEに模試の成績表を貼り自慢し続けていたら、ヘイトを溜めすぎてクリスマス前にLINEグループから追放される。翌年、無事第1志望の大学に合格しLINEグループに戻してもらうことに成功。
20歳
第1志望に合格し高校時代の友達のススメでTwitterをはじめ、ハマりすぎて2日でその友達のツイート数を超える。
エビ中のフリーライブに行き握手したのをきっかけに本格的にアイドルに通い出すようになる。あらゆる現場のピンチケの所作を物凄い勢いで吸収し、ライブだけでなく握手会やラジオ公開収録などの特に動く必要のないイベントでも毎回汗だくになって帰る日々を過ごす。アイドルのCDを1シングルで100枚以上買ったのは多分人生でこの時だけだと思う。
ももクロの事前物販会場で行われたクイズ大会に参加し、司会やってた女性芸人のチキチキジョニーに推しは誰ですか?と聞かれ松野莉奈(エビ中)さんですと答え会場内を信じられないくらい凍りつかせ、有安杏果推しのオタクにネットでめちゃくちゃ叩かれる。(2024年現在の状況を見ると、どう考えても俺の方がアイドル見る目あったと思う)
21歳
スターダストの妹分アイドルの3Bjuniorに本格的にハマり、毎週末のように夜行バスで東京に行くようになる。東京に行って、そこから鈍行に乗って富士見とか幕張とか意味のわからない郊外のショッピングモールに行ったり西武園ゆうえんちに行ったりし、アイドルのライブだけ見てその日のうちにまた夜行バスに乗って帰る全く意味のない夜行バスシャトルランを繰り返す学生生活を送る。
つけ麺10玉の大食いチャレンジに参加し、8.5玉食べるも時間切れで失敗。腹パンパンの中帰りの電車に乗ろうとするも駅近くの焼き肉屋の匂いで気分が悪くなってしまいトイレに駆け込みリバースするが、嘔吐が全然止まらずトイレの水が冠水しそうになったので、一旦吐くのをやめてトイレを流し、もう一度嘔吐を再開するという人類史上初のゲロの2回分割払いを行う。
22歳
立川マシマシ本店で気軽な気持ちでマシマシを頼むとえげつない量のラーメンを出され、何とか完食するも堪えきれず徒歩1分の立川駅のトイレですぐに戻してしまい、胃袋を介してもやしいっぱいのラーメンをどんぶりからトイレに運搬しただけの人になる。
アイドルを沢山見るために東京に行きたすぎて大学院で東京に行きたいと打診するも、母親にさすがにお前舐めんなと死ぬほど怒られる。
某メーカーに2週間ほど長期インターンに行き、好きになった同期の女の子に1週間目の終わりに告白してしまい普通にフラれて残りの1週間を地獄のような空気で過ごし、周りに気を遣わせてしまう。
23歳
アイドルオタクを辞めて意識高い系のコミュニティに混じろうとするが、特にモテずにつまらない日々だったので結局乃木坂の握手会とか行くようになる。
大学院に行かずに就職することも考え、交通費が出るタイプのITベンチャー説明会に参加し東京に行くが、某ベンチャー企業の役員と話して将来やりたいことが何も答えられずカジュアル面談なのにめちゃくちゃ説教されて、気を悪くして帰りの夜行バスで進学することを決意。
大学院時代
24歳
ようやく初めて彼女ができる!クリスマスデートで飯食った後告白するタイミングを伺うためにイルミネーションの中を2時間近くウロウロしてしまう。そして年明けデートで某有名神社に初詣に行き、山の上の本堂まで2時間近くかけて登る。さすがに歩きすぎたためか、その後彼女とは音信不通になる。
カッコイイという理由だけで博士課程進学を考える。しかし実験はめんどくさくて嫌いだったので必要最低限の量しか行わず、長期インターンとか行ってなかったのせ全然研究成果が出ず、1年かけて進捗報告時の指導教官の眉間のしわが徐々に深くなっていくアハ体験を味わう。
25歳
実験嫌いの無能であることを認め、博士課程進学を諦める。学校推薦で簡単に大手メーカーに内定をもらい調子に乗る。
研究でいい成果が出なかったので秋からテーマを変え、後輩が既にある程度実績を出していたものを材料だけ変えて行うというほぼパクリみたいな手段で何とか卒業するだけのデータを集める。修士論文頑張って100ページ以上書くも、教授から期待されてなさすぎてレビュー依頼したら10分後に訂正箇所なしでOKで帰ってきてあっさり卒業が確定する。
社会人時代
26歳
第1志望の大手メーカーに入社するも、ソフトウェアエンジニアを志望していたのに工場の生産管理に配属されてしまい、不貞腐れて1年で辞めてしまう。
大学1年の時から見ていたアイドルが引退し、いよいよ俺もアイドルオタク辞めるか〜と思ってたタイミングでまんまととき宣にハマる。(なんやかんや今結構売れたから古参ヅラできるので良かったなと思う)
27歳
第二新卒でソフトウェア受託開発を行う企業へ転職し、一つ下の代の新卒と混じって研修を受けるも特に馴染むことなく、以降特に交流なく現在に至る。
365日休まず毎日ギャグなどの動画を撮り投稿し続けるストイックな生活を送っていたが、本当に一回もバズることなく365日を終える。
28歳
大学の後輩と付き合うも、一緒に行った旅行で運転が下手すぎてレンタカーをガードレールに擦らせて単独事故を起こしてしまい、そのまま警察署へ。とんでもない蛙化現象を引き起こしてしまい直ぐに別れる。
ちなみにその旅行は95パーセント彼女に運転させていたし事故届書くための警察署に行く途中の運転もやってもらった。
29歳
一念発起して男女100人規模の大型街コンに参加し、頑張って20人近い女性のLINEをゲットするもコピペでお礼ラインを全員同じ名前で送ってしまい、すべて無駄にしてしまう。
初めてインドネシアへと海外旅行に行く。インドネシアでバス渋滞に巻き込まれ1時間近く待った末に見知らぬ道で途中下車させられ、オシッコを我慢できずにそれまでに飲んでいた飲料の空の1リットルペットボトルに放尿すると量が多すぎて1リットルに並々とオシッコが溜まり、人体の神秘に感動する。
30歳
これからについて乞うご期待!
とりあえず年収を上げたり今後のやりたいことやキャリアパスなどを考え一念発起し、もういっちょ転職することに。
あとがき
というわけで、30歳の節目に2回目の転職をすることにしました!今現在はソフトエンジニアをやっている訳ですが、今後はその経験を踏まえつつコンサルファームに転職します!ひとまずは何とか1年生き残るつもりで頑張ります〜。いずれなんかブログは書きます!
改めてこの30年を振り返ってみると、小さいポカや大きいポカを結構したり、相当恥ずかしいミスも書いてないものも含めて沢山しているのですが、それでもなお何とかなっています。
これはひとえに周りの人間に恵まれていたこと、運の良さがなせるものでしょう。これだけお膳立てしてもらっていた環境の割には全体的に人生の実績はパッとしないですが、まあこれからホームラン打てばいいでしょという気持ちでやっていこうと思います。
アイドルにかまけたり、勉強したけど研究しなかったので大学でパッとしなかったり、新卒の就活をミスったりしましたが、それでも中々楽しい20代を過ごせたのではないかなと思います。
30代は多分もっと楽しくなっていくだろうと思うし、そうして行ければなと思います。
それでは皆さん、30歳の1年もよろしくお願いします。