孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

特技妄想、趣味妄想

最近『妄想』に耽る頻度が明らかに減った気がします。


エロい妄想や未来に対する妄想、中学生や高校生の頃はめっちゃしていた気がするのに全然最近はしていません。たまに振り返るのは『あの時ああしといたらよかったかなあ』というズルズルの未練のみです。目の前にあるのはただ現実だけで、その現実に対してどうするかだけを考えている気がします。

妄想をしなくなったのには理由がいくつかあると思います。


一つは、年齢を重ねるに伴って無限に取りえた未来への選択肢が徐々に確定されていき、やがて一本の道へと収束していっているからだと思います。
もう私も来年には大学を卒業して就職です。完全にファーストキャリアは確定されてしまっています。小学校や中学校の頃の、大人になってから何するかなんて全く分からないからこそ、好きに色々言えたわけですし思い描けたわけです。その時思い描いていたような内容を今改めて脳内で浮かべようとすると、それはもはや起こりうる未来ではなくもしもの世界になってしまいます。現実にはもしもBOXなんてないので物理的に起こすことが不可能になってしまいます。


エロい妄想だって似たようなものですが、こちらは逆に目の前の選択肢がたくさん提示されるようになったが故に妄想をしなくなったんだと思います。
子供の頃なんてエロいものを手に入れること自体がまずほとんどありませんでした。私は幼少時にはスカパーのガイドブックに載ってるペイチャンネルのAVのタイトルと女優の顔(公式ガイドブックなので下着姿すら載っていない)から頑張って妄想していました。さすがにエロい言葉を辞書で探したりはしていなかったですが、あまりにエロへの手がかりが何もないので録画したテレビの下着CMを一時停止してなんとか乳首とか見えないか苦労してました。見えるわけないやろ。
中高時代は共学でしたが、異性との交際経験はおろか女友達すらゼロという無残な有様でした。しかしその当時の私はヘンな尖り方をしていたので全く気になりませんでした。その時の性癖を今詳細に書くつもりはありませんが、ニッチの極みみたいな同人の非エロ絵から頑張って妄想をしていました。ニッチ過ぎてエロい絵が流れていなかったからです。インターネットによってエロの題材はたくさん手に入るようになりましたが結局エロは画面の向こうの話で、そう簡単に触れられるものではなかったので妄想はとどまらないわけです。
今は、エロ動画や同人なんてたくさん転がっているのはもちろんですが、それ以上に成人したことによって風俗という選択肢が濃くなってくるわけです。言ってしまえば金で体験が買えるようになるわけです。無論実際に女性と出会い、交際するという選択肢もありますがそれはそもそも中高時代から経験しておくべきだったことです。私はそれができなかったし、しようともしなかった。今では妄想に脳のリソースを使うよりかは金からどういう経験を買うかという方向にシフトしてしまっています(女性との交際もお金はかかりますからね)。


昔は燃えていたはずの創作意欲も今では影を潜めています。
小学生の頃は星のカービィモンスターファームの漫画をめっちゃ描いてた(絵はめっちゃ下手)し、高校の頃はラノベ作家になろうと小説を書いてたりしましたが今では全くそんなことをしていません。ネットフリックスやAmazonプライムなどで有料映像コンテンツがめちゃくちゃ見れて、更にはYouTubeに非常に面白い動画を無料で見れるようになった今では私は完全な消費者です。自分の好きなものを自分で作るのではなく、探して消費する方が楽で合理的だと考えるようになりました。このブログこそが創作……というには少しレベルが低すぎますが、最後の抵抗みたいなものかもしれません。



物質的な豊かさを享受する代わりに、脳内で自由に物事を思い浮かべる妄想力が衰えていっているように感じられます。妄想をしていないのだから当然です。
このままでは駄目だ、というほど差し迫った問題ではないのですが頭の中の妄想をする自由空間がなくなると自分の中の童心が消えてしまう気がします。そして童心を完全に失ったところで私は立派な大人にはなれないので『特技妄想、趣味妄想』と歌う乙女新党(怒涛のタイトル伏線回収)(解散済み)のごとく妄想世界で今日もワーキャーしたいと思います。アイドルの妄想ツイート等からリハビリテーションを始めるのも良いかもしれませんが、Twitterで色々な妄想ツイートを見ている限り有名な誰かのフォーマットに無意識のうちに則って長文を書く人が多いようですし私もそうなっちゃいそうなのでやめときます。
しかしながら我々がしている妄想も大概は何かのフォーマットに則ったものかもしれません。別にツイートだって結局は独り言なのでオリジナリティを追求する筋合いはないし、チラシの裏に書いた落書きにモノを申すのはナンセンスな気がします。しかし誰かに認められるために妄想をするのであれば、その行為自体の是非はともかく、自分特有の要素が加味されている必要はあるということなのでしょうか。あまり突っ込んで考えるつもりはありませんが、妄想は突き詰めて考えたらなかなか奥が深そうな気配がしてきました。童心を忘れないように、これからは自由な妄想を爆発させていきたいものです。
いずれにせよ妄想が先、『いいね』は後です。

ちなみに童心とは『童貞の心』の略です。





↑サムネイル用に乙女新党のジャケットを貼って終わります。