本日2020/04/26をもって長年推し続けてきたアイドルグループが解散し、そして推しメンだったアイドルが活動を終えます。
振り返ってみればそれなりの期間アイドルの現場に行き続けてきた身ではありますが、自分の中で『推しメン』といえるほどのアイドルは片手で数えるほどしかいません。そして、自分のこの目でその始まりから終わりまでちゃんと見届けたのは本日が初めて(同時に最後の可能性もある)でした。
さて、アイドルなどでよく言われる『推しメン』の定義は人によりそれぞれで、一般的な定義があるわけではありません。個人の主観によって線引きがここまで変わる言葉もなかなかないのではないでしょうか?
「推しメン」(おしめん)は、イチ推しメンバーの略で、意味は、その人がグループの中で一番の好きなメンバー、応援しているメンバーのこと。「○○(メンバー名)推し」の様にも使用する。
引用元:
https://48pedia.org/%E6%8E%A8%E3%81%97%E3%83%A1%E3%83%B3
ネットでググッてみると、それっぽい定義が書かれています。端的に推しメンという言葉の性質がまとめられているのではないかと思います。
……しかし、私の中の『推しメン』の定義は、これだけでは不十分の気がしています。
振り返ってみると、色々なアイドルのライブに顔を出して来ました。そして、それなりに握手会などのいわゆる接触と呼ばれるイベントにも行ってはいます。
しかし、それらのほとんどはあくまで日々の生活の中の、いくつかある趣味の中の選択肢の1つです。他に用事があったら普通に行かないし、そうでなくてもめんどくさかったり気が向かなかったら行かないということもままあります。
『推しメン』のいる現場というものは、そうではないのです。推しメンのいるライブに行くということは、選択肢ではないのです。自分の予定の全てに先立つもので、どちらかと言えば前提条件に近いのではないかと思います。
あらゆる選択肢の中で常に割り込みで最優先される存在、それが『推しメン』の描像に最も近いものではないかと思います。
その要素を加えた上で推しメンというものを自分なりに定義し直してみると、
「推しメン」(おしめん)は、イチ推しメンバーの略で、意味は、その人がグループの中で一番の好きなメンバーであり、その存在は行動の中で常に最優先される。「○○(メンバー名)推し」の様にも使用する。
なんともチープな定義になってしまいましたが、私のイメージする推しメンに近いものではないかと思っています。
人によるのでしょうが、私は推しメンというものはそう何人もできるものではないかと思います。一定の期間、大抵は1人か2人くらいだけ『推しメン』がいて、新しく気になるグループなどが出てきたら、誰かを捨ててそこに軸足を移してそのまま渡り歩いていく。それが大多数のアイドルオタクというもののパターンなのではないかと思います。始まりから終わりまで推しメンを見届けられるということはなかなか難しいことであり、得がたい経験では無いのかと思います(その経験がどう役に立つのかは置いておくとして)。
このような推しメンが産まれるにはどのような条件が必要か?
そういう疑問が出てくると思います。
『趣味の選択肢のひとつ』ではなく、『行動の決定の基準』となるような推しメンが生まれるためにはある種の強い感情で紐付けられる必要があると思っています。
それは例えば強い恋愛感情、強い尊敬、強い親愛……様々なものが考えられます。
私の考えとしては、異性のアイドルを応援する場合に最も強い原動力になるのはやはり恋愛感情ではないかと思っています。
そして、そのような感情を持つのは一般的には近しい年齢のアイドルのみではないかと思っています。
強い感情の中で推しメンに入れ込み、そして冷静さを事欠くのです。
話を戻して、アイドルを応援しているうちに気がついたら20代も半ばを迎えていた訳ですが、かつてのようにアイドルに入れ込むことが明らかになくなりました。
その原因について色々考えてみたのですが、強い感情でアイドルに紐付けられないからではないかと思います。今活動しているアイドルの大多数は自分より遥かに年下です、そうなってくるとどうしても一周回った冷静な目で見てしまう。結果、趣味の領域から抜け出すような推しメンは産まれません。
もしかすると、このまま30代、40代とアイドルに通い続けていたら別の強い感情(父性のようなもの)で紐付く日が来るかもしれません……そんな日はできれば来てほしくないですが。
まとめると、推しメンはとかく産まれがたい存在であり、それゆえかけがえのない存在だと言えます。
全ての選択肢に先立って意思決定に影響を与えてしまう推しメンというものは、確実にその後の人生に影響を与えます。非常に貴重で得がたい経験だったと改めて思います。……それが幸せか不幸せかは別として。
これから先の人生で推しメンが産まれることは恐らくないと思いますが、それでも私はアイドル現場に行くのだろうなと思います。推しメンが居なくなっても、グループが存在するのであれば『好きな曲』は残り続けるからです。好きな曲をライブで見る快感は何物にも勝ります。生理的な快感は個人的な感情に先立ちます。私はその快感を求めて、ライブに行くのでしょう。