孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

人生が5回くらいあったなら

BLEACHのこのシーン、有名ですよね。

BLEACHエアプの自分でもこのシーンだかは知ってます。なぜなら有名だから。


まあ漫画の内容はさておくとして(詳しく知らないため)。


やり直しの効かない1度きりの人生において既に全力でダメな方向にハンドルを切ってしまった自分だからこそ、「あの時ああしておけば」だとか「やり直せるなら〇〇したい」だとかそういったifの自分を空想することがよくあります。

「『もし』とか『たら』とか『れば』の自分に意味はない」とカミナの兄貴に叱られてしまいそうですが、それでももしもの自分を考えることにはそれなりに意味はあると私は思います。

今の自分を作り上げている要素は過去の自分が意図的に或いは無意識のうちに選んだ選択の連続が作り上げた結果であると同時に、私が思うに今の自分は明らかに『ありえた自分』の中での特異点だとおもうからです。
仮に私が今現在の24年間の記憶を保ったまま人生をやり直したとしても、今の自分まで戻ってこれる自信が全くありません。それくらいまぐれや偶然が重なって今に至る道のりを歩んできたと思っています。だからこそ、他にありえた自分や他にやりたかったことを考えることにはきっと意味がある。そうすることによって今の自分の良さと悪さが少しは分かるかもしれない。そう考えています。

さて、もし人生を5回あったとしたら私は何を思うのでしょうか。



・サークルを4年間ちゃんとやり通して大学を楽しむ。
ラノベ作家になって、売れるラノベと好きなラノベを両方書く。
・建築やデザインを専攻して、ヨーロッパに留学して自分だけのアートを極める。
ハンドボールを大学でも続けて教職を取って教員になり、後世に指導する。
・バイトで稼いだ金を全額海外旅行に使って、もう海外で職を探して現地人になる。



人生が5回あったなら、ありうる未来やありえない未来を色々想像して今の自分じゃない自分は何をやってるか。案外考えてみると難しいもので、10年後の自分を想像してくださいという質問に似たものを感じます(現段階で私は10年後の未来がまだ描けないでいます)。


一つ一つ、理由を紡いでいきましょう。



まず心の奥底に残ってる後悔のひとつに、僕は学部時代にサークルに所属して4年間やりきらなかったということがあります。
アイドルの追っかけに活動を全振りしてたからで、まあアイドルオタク自体がサークル活動みたいなものだったと言えなくはないですがやはり学内のサークルに入っていないと学内の交友関係は希薄になります。
出会いを求めてのテニサーやイベントサークル、或いはガチで運動部、はたまた大学にしかない奇抜なサークル……なんでもいい、なんでもいいから4年間きっちり続けたかった。4年間続けたことはきっと大きな財産になります。アイドルオタクをしながらでもなにか出来たんじゃないか、なら人生をやり直したらサークル活動を思いっきり楽しんでみたいのです。




次にラノベ作家。
私の高校時代の夢はラノベ作家でした。近所の古本屋で1冊50円でラノベを買い漁って、年間ラノベを100冊以上読んで「俺ならこれより面白いラノベ書けるぜ!」とエブリスタで小説を書いたりしてました。
受験期になって、あまり小説を書かなくなり浪人してアイドルにハマってと次第にラノベ作家の夢は失せて私は遠征ばかりするアクティブアイドルオタクに鞍替えしていました。でも、自分だけの物語を作った経験はすごく楽しかったし、自分の書いた物に対して顔も知らない誰かから批判されたり褒められたりどちらもすごく有難かった。今は忙しいを言い訳にして小説は全然書かないし、昔みたいに熱意がないからプロットなしでゴリゴリ小説を終わりまで導けません。2、3話書いたら筆が止まります。だから本格的に小説をコンスタントに書いて、ラノベ作家になることに挑戦してみたい。そして、売れる作品を意識して書くことと自分の好きな作品を書くことを両方やってみたいなと。生活は苦しくなるかもしれませんが、自分のもしもの人生にこれは欠かせません。



自分と今まで無縁の分野で、最近興味を持つようになったもののひとつに芸術があります。最近はよく博物館や美術館に行ったりしますしそれについてもブログにいずれ書いたりしたいなと思っていますが、それはともかく。今の研究分野と全く関係ない所で、デザインやアートについて深く考える人間になりたいなと思う時があります。デザインに対して敏感な人は人の感性を存分に観察している人だと思います。私はそこら辺の感覚が鈍くて、あまり察知することができません。デザインやアートといった観点に理系の感覚を混ぜて、そう特に建築などを専攻して留学して学びたいなとか思ったりします。今自分がやってる研究も楽しいのであれですが、やり直すとしたらそういった未来もあっていいのかなと思います。




私は中高ハンドボールをやっていて、別に対して上手かった訳では無いのですが6年間何やかんや楽しかったと思っています。高校の最後の方は顧問と反発して仲があまり良くないまま終わってしまっていて(部活の同期達とは今でも仲がいい)後腐れって奴が少しだけ残ってるのですが。
大学でもそんなハンドボールをある程度真剣にやりつつ、教員免許を取って中学や高校の後身に指導するっていうのも面白いんじゃないかなと思ったりしています。私は後輩に対する接し方が下手な(というか全般的に人との接し方は下手だと思ってる)人間ですが無条件で基本的に後輩は可愛いと思える人間ですし自分の失敗を超えてより上の人間になって欲しいと思ってます。だから、そんな風に誰かにバトンを託す人生も悪くないなと今思います。




私は海外に行ったことがありません。パスポートすら持っていません。海外旅行が趣味という人とたまに会う時があります。大概話は全く合いません。日本に根付いてアイドル行脚をしてきた人間と海外を飛び回る人間だと視点が違うのでしょう。
趣味に海外旅行を挙げるくらい海外に親しめたのならば、或いは日本的価値観を逸脱して海外に在住するような判断ができたのならそれはそれで楽しそうだと思います。今の自分と全く違う形として日本に定住しない人生があってもいいのではないでしょうか。







尊敬する教授の講義で、「今の自分と全く違う自分としての夢を3つ即座に挙げれなければならない」という言葉がありました。
今の自分の夢とはまた別の夢を3つ持っておけば、コケた時にすぐ移れるからということでしたが、あまたの夢を持つことは今の自分自身にも良い影響を与えるのではないかと今思い返してみたら思います。

長くなりましたが、人生が5回あったならという仮定を真面目に折に触れて考えることをこれからもちょこちょことして行きたいなと思います。あと、BLEACHはいつかちゃんと全巻読みます。