孤独な弧度法

ブログのタイトルは完全に語感だけで決めました。そこそこ良いブログ名だと自分では思っています。

お就活のお体験談

何事も記録して、文字に残すのが好きなもので。

正直あまり積極的に就活をやっていたわけではないですが、一応就活が終わって結果やレポートをまとめ終わったので軽く話しておきます。
参考になる部分はほぼ全くないと言っても過言ではないと思いますが『こんなもん』を感じて貰えたらと思います。
会社名のアルファベットは全くの適当なのであしからず。





【前提条件】

・某大学理系大学院修士課程在籍。
インターンシップ参加歴なし(学部時代には何社かあるが、ESでその経験を書いたことはない)。
・OB訪問兼企業説明は何社か行くも、その後の選考を受けた企業なし(完全に説明会後のご飯目当て)。
・TOEIC600程度。


【就活の軸】

完全なる思いつき。
元々2月くらいまでは後期課程に進学するつもりだったが、辛いことが何個か重なってメンタルがどん底になった時に不意に第1志望会社の名前が脳裏を過ぎり、就職を志望。嘘みたいだけどこれはマジです。
その後は第1志望に通ったら就職で、無理だったら進学という方向性で固めていった。

求める条件としては土日祝完全休み、有給が半分くらいは消化できる、企業として独自の技術力を持っていて研究費用を潤沢に毎年投資している、給料が高い(←これ一番大事)。
立地はどの道メーカー技術職ならだいたい田舎になるだろうし東京は嫌いなのであまり気にしなかった。といつつ都心の企業も一応ES出したりはした。





【どんな感じで企業にエントリーしたか】
3月の就活解禁に伴い、とりあえず第1志望会社は決まっていたので、まずその周辺の競合他社を何社かチョイスしておいた。
そしてそれとは全く関係の無い業界で、早くにWebテストや面接が受けれる会社を某リ〇ナビから適当に選びWebテストや面接の感覚を掴むことを行った。
合同説明会は一切出席せず(希望がある程度絞れているので第1志望の個別のイベントのみ行けばいいと判断したため)、企業説明会も第1志望の会社見学含めてほんの2、3社程度に留めておいた。




【ES/Webテストで落ちた企業】

・N社(超有名ゲームメーカー)
言わずもがなの京都にある超有名ゲームメーカー。研究の関連でハード開発で応募。ES提出時間の1時間前に慌てて書いて提出。Webテストの英語がムズすぎて匙を投げる。その後1ヶ月半音沙汰なくつい最近お祈りメールが届いた。
届いたパンフレットのボリュームがかなりあって最高だった。

・S社(機械系)
九州にある知る人ぞ知る大手企業。説明会行った感じホワイトそうだし、九州は個人的に大好きで住みたかったので応募。
しかしながらESの文量が長く書くのに苦労し、かつWebテストもかなり難しくあっさり書類落ち。面接くらいは行けると思ったからムカついた。




【途中で選考を辞退した企業】

・R社(半導体関係)
自分の研究と割と近く面白そうだったので説明会に顔を出し、とりあえずES提出。余裕の突破で面接に向かうだけとなったが、面接の交通費を負担してくれなかったので、金払ってまで行きたい企業じゃないなと思い辞退した。
ちなみに説明会時の交通費は未だに振り込まれていない。はよ振り込んで。

・A社(重工系)
外資系メーカー。外資も受けてみたいなと思ったのでエントリーしてみた。
ES、Webテストは突破したが第1志望の内定が先に出たので受けても申し訳ないと思って辞退した。面接行ってみたかった。





【面接まで漕ぎ着けた企業】

・T社(光学機器、医療機器メーカー)
Webテストが早期から受けれて、なおかつ選考が割と早かったので応募。初めてのWebテスト(SPI)だったが普通にパスしてESも問題なく通ったので面接までの足切りはないものと考えていいかなと判断。
ウェブ面接を行ったがなかなか繋がらずイライラしてたところを急に繋がり人事と画面越しに気まずい雰囲気に。志望動機もあまり固まってなかったのであっさり落ちる。

・K社(FA機器等)
高年収激務で有名な企業。性格診断を説明会のその場で行い、WebテストもSPIで特に準備がいらないので受けた。全ての連絡が非常に早かった。

・B社(本命)
普通にWebテストやES提出後合格の通知が来て、推薦での出願をするつもりだったのでジョブマッチングという名目の実質面接を行った。
面接はやや緊迫した感じで手応えがなく『落ちたかな……まあそれならそれでいいか』と半ば開き直りつつ受け答えを行った。最後の方は業務に関する結構具体的な質問になってきたので通ったかな?と思いつつ帰ると翌朝定時きっかりに合格のメールが。
推薦書を提出し、6月に意思確認程度の最終面接を行って内定取得。学業の頑張りをしっかり見てくれたところがかなり高評価だった。さすが理系出身の役員!




【活用した就活サイトなど】
一応リ〇ナビなどの大手サイトやAmazonギフト目当てで入ったベンチャーばっかり紹介してくる就活サイトには何個か登録していたが、エントリーは大体直接企業のホームページから直接行っていたし、合同説明会などは一切行かなかったので全く役に立たなかった。
一応レビューサイトで過去に内定貰った人の面接で聞かれた内容などはあったので、その部分は参考にさせてもらった。実際そのまんま質問が来たわけではないが、質問に対する回答を準備する過程で自分の志向がなんとなく掴めてきたのでこれは無駄ではなかったと思う。インターネットや書籍での情報収集の他に日経新聞をざっと読んで受ける会社の情報を集めたりもしたが面接で活きることは特になかった。




【総評】

結果としては当初の狙い通り、合計で数社ほど練習で受けて内定は本命1社だけです。
ほとんどの企業はES出しただけで辞退してるしESとWebテストはほぼほぼ使い回しているのですが、ベースができてたらある程度は何とかなるものだと思いました。
就活は運の要素が強いとは聞きますが、所謂売り手市場の年に就活ができたので、推薦を希望したらかなり楽に志望企業から内定を貰えました。図らずも大学院推薦のうまみの最たるところを味わった気分です。
理系は研究室で苦労してる分就活は楽だと言われますが、個人的に研究室を苦と思ったことは一切ないのでなんかここまで楽してごめんって感じです。これはたまたま新卒募集が活発な年にたまたまそれなりに企業からの需要の高い専攻に所属していたおかげであって、特別私の能力が高いからとかそういうわけではないと思います。就活を恋愛に例える(私はこの風潮そのものは反吐が出るほど嫌い)だと細身でマッシュルームカット的なタイプだったのでしょう。現実の私はそれとは真逆ですが。



以上、実験や修論を前にして現実逃避をするために書いた散文でした。

学力だけで大学に入れる時代に受験できて良かった

受験期に関するブログを書いて欲しい、という要望がありましたので嬉嬉として今回の話題はそれにします。

とは言ったものの、私が大学受験を受けたのはもう5年以上前のことで大学院試験(定員割れスレスレでめっちゃ楽だった)なら覚えてますが、それなりの倍率を勝ち抜いたはずの大学受験の記憶もさすがに薄れつつあります。
とはいえ、『受験の話』と聞いた時に大抵の人が聞きたいのは大学受験の話だと思うので、残っている記憶を頼りに話を組み立ててみたいと思います。

自分語りが気持ちよくなって気が付いたらめっちゃ長文になっていますが大したことは書いていないので流し読みして、どうぞ。



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そもそも私は大学進学をそれほど志望していない人間でした。両親ともに大学を出ていない人間だったということもありますし、私自身中三くらいまではテレビでよく聞く東大京慶應早稲田くらいしか大学を知らなかったので進学というイメージが全くなかったです(2ちゃんの高校受験板でめちゃくちゃ全国の高校難易度は調べてたのにね)。
内申書の点数的に受かりそうな高校を適当に受験して高校受験を終わらせた後に合格した高校パンフレットの進学実績を見て、「まあ3年後に関西圏で有名な私立大入れたらお婆ちゃんが喜ぶかなぁ」とその程度くらいの認識でした。


高校ではライトノベルを本格的に読むようになって、自分で小説を書くことにハマりだしたので受験期になるまでは「ラノベ作家になるぞ!」と思ってました。どうやってなるか具体的に調べていなかったので小説を書いてアップロードして批評を貰うだけだったのですが。
私の高校は所謂県内の学力中位層ど真ん中が行くような高校だったのですが、私はその高校で次席でした。首席ではない所がなんか『らしい』ですね。部活動とラノベ執筆に腐心して勉強はほぼしていなかったのですが、学年四位より下には下がったことがありません。自慢っぽく聞こえますが、これはまあ自慢です。
実際のところ、私も含め誰もちゃんと予習復習をしていなかったから、定期試験や模試の学年順位を分けるのは授業内容で出てきた式や単語をどれだけ丸暗記してるかくらいで、私は少し記憶力が良くてそれを覚えてたから定期試験を解けただけに過ぎないと思いますが。実際、本当に大学の二次試験レベルの問題が自力で解けるようになったのは英語以外は浪人してからなので。


部活かレトロゲームかアニメ見るか小説書くかしかしていなかった高校生活ですが、高校三年生の部活動であっさり負けて引退して受験期に突入します。そこで私は模試の成績が学内で相対的に高かった(某模試偏差値で50半ばなのですが学内偏差値だとこれが70以上に跳ね上がる)ので、担任や各教科の先生からしきりに難関国立大の受験を薦められたのです。そしておだてられたら木に登る男である私は、書いていた小説がちょうど一区切りついたこともあって受験に臨むことにしました。





そして翌年の3月、国公立前期後期にくわえて併願していた私立大も全落ちしたわけです。



こんな大敗を喫したのには今振り返ってみると明確な理由があって、好きな勉強(英語の単語と長文、化学の有機分野)は重点的に行っていましたがそれ以外の嫌いな部分はほとんど投げていたからです。他にも本格的にももクロにハマりだして塾のパソコンでMVとかウレロとかばかり見てたとかそんな理由もあります。
親に全落ちしたと告げるとあっさり『来年受けたらいいよ、予備校行く?』と言われて、とりあえず近隣の大手予備校で1番トイレが綺麗な予備校を選びそこに通うことにしました(当時の私はお腹が冷えやすくよくトイレに行っていたため)。
正直最初は全くやる気はしなかった訳ですが、予備校のパンフレットに書いてあった年会費を見て、親に申し訳が立たなくなり勉強をきちんとすることを決意しました。
浪人の1年間は私の人生で一番(※)二番目によく勉強していた時期だと思います。

※一番目は大学院入学から現在に至るまでです。




予備校の授業が始まる4月第2週までの間にフォーカスゴールドの数学1A〜3Cの3冊の例題を全て解いて解けない問題をチェックして毎日読み返して徹底的に暗記をしました。
物理は苦手すぎてどうしようもなかったので重要問題集の解ける問題は解いておいて、解けない問題は予備校の授業に合わせて解いていくことにしました。
現役時代に文法本と英単語帳を読みすぎて単語1900語くらいは頭に入っていたので(こう書くとどの単語帳か分かりますね)、英語は最小限に留めました。
そして予備校の授業の開始と共に、二次試験で使う科目(数学、理科、英語)については毎日授業が終わるとももクロを聴きながら自習室でテキストの復習。それでも解けなかった問題は印をつけて週末に解き直す。そして前期が終わった夏休みにテキストの総復習をして重み付けしておいた苦手な問題が本当に理解しているかをチェックし直す。センターのみの社会、国語については行き帰りの電車で常に授業プリントや古文漢文の参考書を読み返していました。
まあそんなことを愚直に12月のセンター直前まで続けていました。そこからセンター対策して、1月後半にセンター試験を受けて、その後からようやく二次試験の過去問を解き始めました。
猛烈に基礎力がついて、センターの点数が現役時代から200点くらいはアップしてたので正直かなり余裕でした。二次試験用の模試も現役時代に受けた同じ模試と比較して偏差値15くらい伸びてて、その時は素直に『俺って本当に賢かったんだなぁ』と自惚れました。部活の同期のグループLINEに逐一爆裂に成績のいい模試結果を送って自慢してたら退会させられました。(今は普通に復帰してたまに飲んだりしてます)


二次試験当日の思い出としては、最初の数学を解き終えた瞬間合格を確信して大学のトイレで私立恵比寿中学の『フレ!フレ!サイリウム!』を聴きながら泣いたというものがあります。その時たしかエビユニ着て試験受けてた気がします。緩やかにももクロからエビ中に乗り換え始めててウケますね。


まあその後、普通に第1志望に合格しました。合格した直後にエビ中星名美怜のソロ曲の『キミに39』を聴いて、そのままエビ中の幕張ライブのLV見に行ったことを覚えてます。お母さんとおばあちゃんと一緒にライブビューを観ました。(親不孝と祖母不孝を同時にやらかしてんなぁ)
その後は予備校に合格体験記と写真掲載を求められたので、合格写真はももクロのパーカーを着て写り合格体験記のタイトルはたしか『フレ!フレ!サイリウム』の歌詞から抜き出しました。つくづく素直なオタクです。
そしてその直後に、ももクロの国立競技場でのライブに行きました。以前ブログで述べたかもしれませんが、これが私の初めての東京遠征です。この後まさか、100回以上東京行くやばいオタクになるとは思いませんでした。
大学に合格して良かったなと思ったことはおばあちゃんがめっちゃ喜んでくれたこととお祝いに1万円くれたことです。後は大学合格で自慢しまくって一時期友人関係が悪くなったり、調子に乗って大学前半の三年間は勉強しなかったのであまりいいことはありませんでした。




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ここまで読んだ暇人の方はめっちゃ大学受験の時のこと覚えてるやん!と思ったかもしれません。前半で申し上げた通り、私は記憶力はちょっとだけ自信があります。だから今でも結構受験の時のなんの気ない思い出を蘇らせることができます。

今になって振り返ってみてみると、改めてセンター試験と二次試験という学力試験で大学に入れる時代に受験生やってて良かったなと思います。そうだったからこそ、私は大学にちゃんと入学することができたんだと思います。
これからの入試制度のように、高校の時の課外活動だとか継続的なテストだとかそういう評価が入試に絡んでくると仮定したら、私は大学に進学すらしてなかったかも知れません。


大学に入ってから3年くらいはほぼ勉強せずにアイドルのおっかけをしていたのですが、ふとした拍子に自分と向き合い、今ではそれなりにちゃんと大学教育を享受する人間になりました。大学で遊んでばかりだった、という人でも就活だとかどこかの時点で自分と向き合いちゃんと何かを行い始める時期が来るものだと私は思います。
学校は入るまでも大事ですが、入った後はもっと大事なので燃え尽きたり大きく本業から逸れないような大学生活を送ることが大事だと思います。
そうしないと、大学入試までしか語れない悲しい人間になってしまうので……。今こうしてブログにつらつら書いてる奴が何言ってるねんって話ですが。

もう少しお話をすると、元々化学が好きで特に有機化学の繊維や合成が好きだったのでその分野に進もうと大学に入った私でしたが何やかんやで今は全く違う研究を楽しくやっていたりします。
1年の時に化学の実験がめんどくさすぎてあっさりあれだけ志望していた進路を翻したからなのですが、こういう風に高校の時に思ったことはすぐに変わります。


だからたとえ受験で志望している大学や学科に入れなかったとしても、ちょっと心向きを変えればサークル活動とかだけじゃなくて講義すらも楽しめると思います。
芸人のレイザーラモンRGさんが『人生はあるあるである』という著書の中で、「自分がいる環境を誇ることが大事」ということを書いてあります。

自分の所属している環境内で腐らずに勝てるところを探す、自分がいる場所を自分が良くすると気持ちいいというお話が入っていてこれに関しては私も確かにそうだなと思います。望むとも望まざるとも、目の前の環境に対してどういう心持ちで入っていくかが大事なのではないかと私は思います。


受験生がもしこんなブログを読んでいるのなら(読んでるのは暇人だけだと思いますけどね)、さっさと勉強してください。Twitterとかは合格するまで辞めた方がいいと思います。



……まあついでに何か言うのであれば、あらゆる受験はまぐれで受かることはあってもまぐれで落ちることはありません。
つまり、学力が達していたら必ず受かるし落ちた場合は必ず自分の学力が足りなかっただけのことです。

私は学力試験や面接、発表などあらゆる場でこのような考え方をしています。奇跡は起こりませんし普段の実力がそのまま結果を決めるということです。
この考えは、私が一番好きなライトノベルである『銀盤カレイドスコープ』のピートというキャラクターがフィギュアスケート選手である主人公のタズサに言った「確率は神様でさえ手出しできない」という言葉から来ています。緊張してつまらぬミスをしたり頭が真っ白になったらどうしようと思いがちですが、終わってみると結局裸の自分の実力だけがそのまま残るだけです。自分の実力が十分なところに達していると、いわゆるケアレスミスはすぐに気が付くし想定と違う事態に出くわしても柔軟に対応できるはずだからです。

銀盤カレイドスコープはスポコンとして面白いだけではなく、アスリートの精神や勝負の哲学を感じられるライトノベルなので勝負弱い人はぜひ読んでみてください。(いずれ本紹介のブログを書くかもしれない)



長くなりましたが、これで受験期のお話を終えます。
これを読んだ皆様、特に受験生が来年大学受験に失敗して多浪したり滑り止めの大学に行って腐る様を楽しみにしています。

それでは。

泉の広場の赤い女はどこに行ったんだ?

梅田で映画を見た帰り道の途中、こんなものを見つけた。


Whityうめだの改装工事で、泉の広場へと通ずる階段が封鎖されていました。
泉の広場と言えば、梅田有数の待ち合わせスポットである地下の広場です。




何かとゴチャゴチャしている梅田の中でも目立つ場所で、華やかな噴水を私は何度も横切りました。残念ながら待ち合わせ場所として利用したことはありませんが、たまに風俗嬢っぽい人が彷徨いてるのを見かけました。泉の広場で合流して、階段を上がってすぐの兎我野の歓楽街へと赴くのでしょう。


この泉の広場をネットで検索すると、必ず『泉の広場 赤い女』というワードが出てきます。
ネットの黎明期に流れた一種の怪談で、少し探せば直ぐにその話を読むことが可能です。


https://xn--u9jv84l7ea468b.com/kaidan/172wa.html


この話が本当かどうか私が知るよしもないのですが、少なくとも私は明確にこの話に現れるような赤い服の女性を見たことはありません。
だけど、まあまとめでも見てもらえればわかる通りかなりの数の体験談が湧き上がってくる『くねくね』等に匹敵しうる類の話だと思います。
元々は昔大阪にいた娼婦のアキちゃんという人がモデルになっているという話もありますが、これまた眉唾物です。

私が工事中の泉の広場を見て真っ先に思ったのは『赤い女はどこに行ったんだ?』というものでした。
自分のいわば縄張りである泉の広場が改築で誰もいなくなったしまった今、それでも彼女は工事現場をうろついているのでしょうか?(ほとんどガタイのいい男性しかいないと思いますが……)
あるいは、梅田や故郷といった他の縁ある場所に移っているのでしょうか?
怪談の中にある私怨がベースになってあるのならば、売春を行っていた泉の広場という場所の持つ性質そのものが彼女を繋ぎ止めているように思われます。
改装が終わって生まれ変わった元・泉の広場(次に何が出来るのかは知らない)に赤い女はまた現れるのか?
そして現れたとしてもそれを知覚できる人はいるのか?
なかば怪談と化した心霊のお話は数あれど、その心霊が現れた場所が無くなってからどうなったかの後日談はほとんど聞いたことありません。




赤い女はもう現れないのか、またどこかで現れるのか。



何となくそんなことが工事中の泉の広場跡を通りかかってふいに気にかかったのですが、泉の広場そのものの存在が潰えた今、赤い女がまた現れない限りはいずれこの話は忘れてしまうのでしょう。

『羽音』が鳴り止まない

私が中学生くらいの時にやった印象深いマイナーゲームに『黒ノ十三』というゲームがあります。




黒ノ十三は所謂サウンドノベルで、名前の通り13本の短編の物語をプレイするという内容になっています。


サウンドノベルとは、画面に表示される文章を読んで選択肢を選んでいく音と映像のついた小説のようなジャンルのゲームです。
選択肢によってエンディングが、場合によってはストーリーそのものがガラッと変わるのが魅力です。『かまいたちの夜』などが有名ですね(知らない人は面白いからやってみてね)。



黒ノ十三はサウンドノベルゲームとしてはお世辞にもいい出来とは言えないゲームで、正解以外の選択肢を選んだらバッドエンドへ直行してしまう上に一つ一つのお話のボリュームも薄く、割と適当な物語も多いです。(どうやら京大のミステリー同好会メンバーが執筆したシナリオが沢山入ってるみたいです)

しかしながら一応ジャンルとしてはホラー系のノベルゲームということで、プレステ初期特有の絶妙な荒さの画質も伴って、全体的に薄気味悪い雰囲気が漂っています。
(※ホラー系が苦手な方は画像検索しない方がいいと思います)

監修が有名なミステリー作家の綾辻行人氏であるところもなかなかミソで、他にも後にラノベ作家として名を馳せる(馳せてない)早見裕司氏の学生時代の作品があったりと、小説をよく読む人には『おっ』となる布陣ではあると思います。





さて本題ですが、この黒ノ十三の13本のシナリオの中に『羽音』というタイトルの話があります。



この羽音という作品は学校でのいじめをテーマにしたお話なのですが、いじめの描写が絶妙に生々しくてエグいのと、あまりにも救いのない最悪の意味でのどんでん返しの結末が印象に残りすぎて、今でも暑い季節になるとやりたくなります。
詳しいネタバレはしたくないので具体的な内容は伏せますが、主人公のいじめられている女子高生に『羽音』を出すアレがあの手この手で迫ってくる描写は最高に気持ち悪くてそれ故深く印象に残ります。
そして中盤、学校内で噂になっているおまじないを藁にもすがる思いで試した主人公がノンストップで絶望の底まで落とされる奇妙なスピード感、話の続きをもう知りたくもないけど次が気になってページを進めてしまうあの感覚。
チープな映像と文章が合わさったサウンドノベルというゲームならではの体験だと思います。


https://sp.nicovideo.jp/watch/sm307191


ニコ動にプレイ動画が上がっていたので、興味のある方は是非ご覧になってみてください。
個人的には実機プレイを進めますが、中古相場が思ったより高かったので……サウンドノベル好きなら買って損はないと思いますが。





ちなみにこの羽音を執筆したのはToriko.今橋さんです。

…………いや、誰やねん。

ネット上で調べてみてもその時限りのペンネームらしく、素性は一切わかりませんでした。あれだけ人を惹き付ける文章をかける方なのだからほかの作品もぜひ見てみたいところです……。



この黒ノ十三には、羽音以外にも面白いシナリオが2,3個くらいはありますので気になる方はプレイしてみるのもいいかもしれません。
僕は羽音以外やり直す気にはなりませんが、早見裕司氏の作品なんかはかなり完成度高いし、文章は大したことないけどシンプルに映像が怖いシナリオも何本があります。


ボリュームの薄さと操作性の悪さから決して名作とはとたも言えませんが、『羽音』を始めとする妙に脳に張り付くシナリオを出した奇作として、私はたまにこのゲームを振り返ることがあると思います……。


10連休終わり上村莉菜

※タイトルに深い意味はありません。語呂だけです。







GWの10連休が終わった…………。


正確には私は就職活動による面接(実質的には東京観光)からそのまま休暇に繋いでいるため13連休だった。

GWの間、ただの1度も研究室には行ってない。休むと決めた時にはとことん休むのが私の流儀だからだ(本当は何回か行こうとしたけど面倒くさくて家から出れなかった)。




今日からは平常日なのでさすがに研究室に行かなきゃなと思い、2週間ぶりに研究室に行ってみたら今月中にやらなければいけないタスクが山ほど溜まっていてうんざりした。とりあえず差し迫っているスライド作りから始めたけど2時間くらいで疲れて昼寝をした。起きたら17時を回っていたので少し早い目の晩御飯を食べに行った。再びスライド作成に取り掛かるもモチベーションが上がらないので、延滞したまま放置していた本を返しに図書館へと向かった。返す前にもう一度パラパラと内容を確認し、そんないい本ではなかったなと改めて感じた。



帰りすがら、スーパーでセールだったので500ml缶のコカ・コーラを6本購入した。冷蔵庫に冷やして飲むのが日課である。
そうして帰ってから持ち帰ったタスクを消化する訳でもなく、今こうしてブログを書いている。何一つ完遂していない、そんな1日。







あと10ヶ月ほどで6年間に渡った大学生活が終わる。

平成にやり残したことを列挙してみよう!

あとたったの3時間足らずで平成が終わり、令和が始まります!

私は平成に生まれ育った、バリバリの現代っ子でズブズブのゆとり世代ですが、年号を跨ぐと自分が少しだけオールドタイプな人間になるような気がします。常に『最新』を理解出来る人間でありたいと思うものです。
自分のことを「おっさん」と言うにはまだ早いだろうと思っているので、平成の最後の今の気持ちとしては令和かかってこいやオラ!といった心境です。

「やり残したこと」、「やりたいこと」というものは1年の周期ではよく振り返ったり抱負として挙げたりするものですが年号を跨いで自分のこれまでを振り返るという経験はしようと思って出来るものではありません。
『然るべき年齢に然るべき経験を積めなかった人間』として、平成の最後にやり残したあるいはやれていないことを挙げてそれをバネに令和という新しい時代に飛び立とうと思います。





【彼女とSEXがしたかった】
いや、一発目がこれかい!そうはいうてもSEXしたいんやからしゃあないやろ!
彼女が出来たことは実はあるんですが、なんにせよ大学院に入ってからようやくです。しかも交際期間MAXで3ヶ月でデート数回しただけっていうね。
バチバチ素人童貞にな訳で、交際経験が年齢に伴っていないので全くSEXまで持っていけません。令和でやりたいことのまず初めには彼女を作りSEXまで持っていくということが挙げられます。プロとのSEXじゃなくて、素人の金銭の発生しないSEXにこそ愛があるのです。愛を知らないまま平成を終える私はいかに虚しい人間か。私は愛を知るため、必ず令和が始まってすぐさま彼女とSEXをします。待っとれよ令和コノヤロウ!




【海外に行ってみたかった】
パスポート持っていません。
親が裕福ではないので、そもそも家族で旅行とかそういうのほとんどしたことがないし1番遠いところで三重県までしか行ったことありません(実家は奈良)。
さらに薄っぺらい人付き合いしかしたことがなかったので友達と海外旅行みたいなこともしたことがありません。大学卒業の時も学会とかで何やかんやで有耶無耶になりました。
行ってみたい国がこれといってある訳でもないのですが「海外で価値観が変わる」ってヤツを多感な中高や大学時代に経験したかったなといったところです。







……割と真剣に振り返ってみたけど、このふたつくらいしかありませんでした。
自分は意外とだいたいやりたいことやってきたんやなぁといところです。多分今思い当たってない『あれはやり残したな』というのが他にあるかもしれませんが、パッと思いつかないことなんてどうせ大したことじゃないので別にええでしょう。

取り返しのつかない『あの時ああしておけばよかった』は沢山ありますけどね。

高校の時にめっちゃ頑張って彼女作ればよかったとか浪人時代予備校で友達作ればよかったとか大学入学当時もっとちゃんと勉強しとけばよかったとかあのアイドルがいなくなる前にもう少し接触行っておけばよかったとか大学で体育会の部活に入っとけばよかったとか……。

色々ありますが、『たられば』の話には価値はありません。今から何とかなるやり残したことは拾う価値がありますが覆らないものは今後のための苦い経験にする他ありません。

とりあえず、平成にやり残した上記二つのことは令和で必ず達成することを誓います。然るべき年齢で然るべき経験を積んできた普通の人からしたら全く大したことじゃないと思いますが、私にとっては非常に難しい問題なので。





それでは令和のブログでまたお会いしましょう!

アルバイト体験談 〜印刷工場編〜

好評につき(好評ではない)、派遣労働に関する話を続けます。

今回は私が大学1年生の夏から冬にかけて、小遣い稼ぎのために週2〜週4でやっていた大阪の印刷工場の夜勤の話です。このバイトしかしてなかった時期もあるくらいで、1年生の夏から冬までの間の半年間はめっちゃやってました。働いている中でムカつくことも沢山あったのに続けられたのは、夜勤だから大学の合間に入れて学業と両立出来る(当時のGPA1.7くらいだったので全く出来てない)ことと、たった半日間夜通し働くだけで1万円が翌々週には振り込まれるという手軽さからでしょうか。
今でも、あの工場では現場監督にやつ当たりされながらパート達が死んだ顔で封筒をダンボールに詰めているのだろうか……そう思うと懐かしい気持ちと反吐が込み上げてきます。



大阪府の印刷工場】
週明けに給料が振り込まれるというメリットのおかげで、懲りずに同じ派遣会社が募集しているブラックバイトに入ってしまうわけです。
派遣会社で常に募集されているバイトは、トラックの助手席にのっての自販機補充手伝い(これもやったことあるけどカスでした)と印刷工場での日勤/夜勤の2種類だけでした。
おいしいバイトもない訳では無いのですが、割のいい仕事はすぐに埋まってしまうため残り物はいつもこの2つです。


私はそのうち、日給の高い印刷工場の夜勤に入ることにしました。
立地が大学からまあまあ近く、大学までの通学定期を利用して交通費を最大限度(といっても上限600円だが)受け取ることができたからです。この浮いた交通費で休憩時間に食べる夜食(安いパン一個)を買っていました。


大阪某所の田舎町の田んぼの奥へと歩いたところにある無骨な印刷工場。行くのを辞めたずっと後で知ったのですが、実はそこそこ有名な印刷会社の所有する工場とのことでした。
夜の21時前に真っ暗な畦道を抜けて恐る恐る工場の受付へと進み、警備員さんからカードを貰います。セキュリティ皆無のちゃちいロッカーに貴重品以外の荷物を預けて、洗濯がされてるか怪しい不潔なバイト用のキャップ帽(マジックで会社名が書かれている)を被って、工場の中へ入ります。
工場全体は派遣会社の広告での触れ込みにあった通り、確かにそれなりに新しく清潔でした。しかしどこかどんよりとした雰囲気が漂っています。
まず現場監督の元に派遣労働者が集まって点呼をとり、散り散りに割り当てられた機械の元に向かい担当の正社員の指示通りに作業をする形でした。
工場内に広い空間の中に印刷用のデカい機械が等間隔で並んでいて、それを正社員(失礼ながらいいとこ高卒の奴だろうなと思ってました)が操作してバンバン印刷していくスタイルです。

印刷工場での作業はまさに『軽作業』で、基本的にはベルトコンベアに乗って次々流れてくる封筒を束にして掴んで輪ゴムで縛ってダンボールに入れる。ダンボールが一杯になったらコンパネの上に乗せて新しいダンボールにまた封筒を詰めていく。たったこれだけです。
ベルトコンベアのスピードはそこまでめちゃくちゃ早い訳でもないので、作業員は基本的に1人です。一部のスピードの早いベルトコンベアなどでは複数人でやることもありますが。それゆえに襲ってくるのは猛烈な退屈さとどうしようもない眠気です。昼間ずっと眠っていたとしても作業中はこの緩慢な単純作業によって、猛烈な眠気が襲ってきます。
優しい社員さんが担当だと「起きてる?笑」みたいな感じで優しく肩を叩いて起こしてくれるんですが、社員によっては苛立ってめっちゃ怒鳴られたりします。そうなった時の気分は最悪です。
眠い目を擦りながら必死に作業をし、1時間くらい経ったかなとふと時計を見ると10分しか経ってなかったというような精神と時の部屋状態がざらにあります。実働時間は1日あたり21:00-9:00で休憩1時間の11時間ですが、感覚としては110時間くらい労働した気がします。1時間休憩が入るのも21:00から始めて2:30くらいなんで本当に単純労働地獄です。

印刷工場でのトップクラスの限界エピソードとしては、あまりにも眠いので1時間休憩の時にトイレの個室で横になって仮眠を取って起きたら休憩時間終わって5分過ぎてて、慌ててラインに戻ったら社員の人に「ひとりが遅れたらラインが回らないんだからな!お前ふざけんなよ!」と怒鳴られたことなどがあります。トイレの個室で地べたに寝そべって寝るのもやばいしその後社員にブチ切れられる時もかなり辛かったです。

その他にも私が槍玉に上がった訳では無いのですが、現場責任者が正社員を点呼している最中に横のロッカーに作業用の軍手を取りに行った派遣の人が、いきなり現場責任者に「今点呼してるだろ!お前なんなんだよ!帰るか!」ととばっちりを食らってそのまま30分くらい説教されてて本当に地獄みたいな雰囲気になってました(他の派遣は業務開始してるけど怒鳴り声は静かな工場内でめっちゃ響く)。

印刷工場で派遣で入る人とは別にパートの人がいるのですが、昼間は主婦とかのおばちゃんが多いんですが深夜帯は謎のオッサンばっかりでした。同じラインになるとめちゃくちゃ上から目線で人生について語ってきたりしたのでずっと苦笑しながら相槌を打ってました。面倒臭いオッサンに対するあしらい方を私はこの工場夜勤で学びましたね。

とにかく感情を消して機械のようにベルトコンベアから流れてくる封筒をダンボールに入れていくこと、これが全てでしたがそんな作業を夜通しやると本当に頭がおかしくなってきます。
色々なバイトをしたりしてきた今振り返ってみると、工場夜勤をレギュラーでしている人は本当に変わってる人が多かったと思います。機械のような作業に徹しているうちに人間性に段々ヒビが入っていくのでしょうか……?

他にバイトをしてなかったのもあって私は金稼ぎのために半年間この印刷工場で働き続けたのですが、ある日ダイノジの大地に似てる正社員にすごく粘着されて一晩中怒られ続けたところでプツンと糸が切れてそれ以降は働かなくなりました。むしろ良く半年間も続けれたなと思います。





私が半年間印刷工場内で夜勤の経験から言えることはたったひとつです。



あらゆる工場の単純作業は、速やかにロボットに置き換わるべき。



これだけです。
工場のラインは『人間』がやる仕事じゃない。頭を使わず、身体すらも対して酷使せず、ただ時間を浪費し苦行に耐えて日銭を稼ぐ……。誰もやりたがらない単純作業だから常に人手不足で、現場の責任者は常にイライラして派遣バイトに八つ当たりをし、埋め合わせは人格のぶっ壊れたパートさん(ライン作業が彼や彼女を狂わせたのかもしれない)か外国人労働者がやっています。
介護などの福祉の職業と違い、本当はロボットがすぐにでも代替できる作業であるにも関わらずそれがされていないところも前時代的です。
ああいう類の単純労働が完全にロボットに取って代わる時代が早く来ることを心から願います。

主観ですが、あの印刷工場で働いている人で幸せそうな人は一人もいなかったから。